刑法 問題10

 A会社の技術職員甲は,同社が多額の費用を投じて研究開発した新技術に関する機密 資料を保管し,時折は研究のため自宅に持ち帰っていた。B会社の社員乙は,A会社の 機密を不正に獲得することを企て,甲に対し,その保管する当該資料のコピーの交付を 依頼し,礼金の半額100万円を支払い,残りの100万円はコピ一と引き替えに支払 うことを約束した。甲は,コピーを作成する目的で当該資料を一旦社外に持ち出し,近くのコピーサービスでコピーを一部作成し,30分後に当該資料を会社の保管場所に返 却した。その後甲は,発覚をおそれてそのコピーを渡さずにいたが,乙に督促されたた め,個人的に所有する別の資料のコピーをA会社の機密資料のコピーであると偽って乙 に渡し,残金の100万円を受け取った。
 甲及び乙の罪責を論ぜよ。
※旧司法試験 平成元年度 第2問


第1 甲の罪責
1 甲が、コピーを作成するつもりで機密資料を一旦社外に持ち出した行為に窃盗罪(235条)が成立するか。
(1) 機密資料はA社の所有物であるから、「他人の財物」にあたる。
(2) 「窃取した」したとは、他人の占有する財物を、占有者の意思に反して自己の占有化に移転させる行為をいうところ、上記行為はこれにあたるか。
 この点、甲は機密資料を持ち帰ることもあり、A社ではなく甲に占有が認められるものとして、「窃取した」とはいえないとも思える。
 しかし、上記資料は、A社の機密資料が記載された資料であって、しかも多額の費用を投じて研究した成果が記載されているのであるから、これは単なる技術職員にすぎない甲に託して専有させるとは考え難い。そうすると、甲は単なる占有補助者にすぎず、機密資料を占有していたとはいえない。
 したがって、上記資料は甲ではないA社の上級管理職の専有するものであったといえ、これを社外に持ち出すことはその者の意思に反して甲の占有下に移す行為であるといえるから、「窃取した」といえる。
(3) さらに、甲は、上記事実を認識認容しているため、故意(38条1項)も認められる。
(4) もっとも、甲は、後で会社の保管場所に返却する意図で上記行為の及んでいることから、不法領得の意思が認められず、窃盗罪は成立しないのではないか。不法領得の意思の要否及びその内容が問題となる。
ア この点、不可罰な使用窃盗と区別すべく、権利者を排除する意思が必要と解する。また、利欲犯的性格ゆえに重く処罰される窃盗と器物損壊とを区別すべく、利用処分意思を要すると解する。
イ これを本件についてみると、上記行為は紙面に化体された情報を複製するためになされるものであって、機密資料から生じる価値を享受する前提なのであるから、物の経済的用法に従った利用する意思を有していたといえる。
 他方、後に返却する意図で一時的に持ち出したものにすぎず、権利者排除意思を認められないとも思える。しかし、機密情報は、いったん流出するとその価値が大きく減少してしまうものであって、これが複製されるとなると情報流出の危険性が大きく高まることとなる。そうだとすれば、後に返却する意図であっても、これをコピーする意図で持ち出すことは、権利者であるA社が許容しない態様による利用をするものといえ、権利者排除意思も認められる。
ウ したがって、不法領得の意思も認められる。
(5) 以上により、上記行為に窃盗罪が成立する。
2 次に、A社の機密資料のコピーであると偽って、別の資料を乙に渡して100万円を受領した行為に、詐欺罪(246条1項)が成立しないか。
(1) A社の機密資料を欲する乙にとって、A社の機密資料であるか否かは、100万円を交付するか否かの判断する上で重要な事項であるといえるから、「人」である乙を「欺い」たといえる。
(2) また、乙は甲に100万円を渡しており、「財物を交付させた」といえる。
(3) そうだとしても、機密資料の売買は上記のとおり窃盗罪を構成する違法なものであり、これに基づき交付された100万円は不法原因給付(民法708条参照)としてもはや返還請求できないこととなる。そこで、財産上の損害がないとして、詐欺罪が成立しないのではないか。
ア この点について、交付行為が不法原因給付にあたるとしても、交付する以前の財物には何ら違法性は認められないのであり、交付行為の完了によって不法原因給付を構成するにすぎない。だとすれば、財産上の損害が生じたことによって不法原因給付にあたることになるのだから、不法原因給付にあたることをもって財産上の損害が生じていないとすることは背理である。
 そこで、財産上の損害は存すると解する。
イ したがって、乙に財産上の損害は生じている。
(4) そして、上記構成要件該当事実を認識認容していたといえるから、故意も認められる。
(5) したがって、上記行為に詐欺罪が成立する。
3 以上により、甲は、窃盗罪と詐欺罪の罪責を負い、両者は併合罪(45条前段)となる。
第2 乙の罪責
 甲に成立した窃盗罪について、乙は共同正犯としての罪責を負わないか。
1 この点について、乙は何ら実行行為を行っていないのであるから、「共同して犯罪を実行した」(60条)とはいえず、共同正犯は成立しないのではないか。共謀共同正犯の成否が問題となる。
(1) そもそも、共同正犯者が一部実行全部責任を負う根拠は、法益侵害に対する因果性を直接的に形成した点にある。そして、実行行為を行わずとも、このように法益侵害に対する因果性を直接的に形成することはできる。
 そこで、正犯意思を前提とした共謀が認められ、かかる共謀に基づき実行行為が行われた場合には、実行行為を行わずとも共謀共同正犯が成立すると解する。
(2) 本件では、乙は当該資料のコピーの交付を甲に持ちかけているところ、乙はコピーする前提として甲が社外に機密資料を持ち出すことを当然に想定できることから、窃盗についての意思連絡はあるといえる。また、計画を持ちかけた首謀者は乙であって本件犯行について主導的な立場を果たしていたといえるし、乙は甲の犯行により機密情報を得られる立場にある。そのため、乙としては、自己の犯罪として行う意図を有していたといえるから、正犯意思を認められる。したがって、正犯意思を前提とした共謀が認められる。
 また、これに基づき甲は上記行為に及んでいるため、共謀に基づく実行行為も認められる。
(3) したがって、窃盗罪の共謀共同正犯が成立する。
2 よって、乙は窃盗罪の共同正犯一罪の罪責を負う。
以上


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