
横浜の美少女『氷川丸』
第一回 突貫ポエミーnote
今日、横浜の博物館に行ってきました。
『日本郵船氷川丸』の見学です。

桟橋の先に大きな船が見える。
氷川丸は、1930年に日本郵船で作られた貨客船。
引退した今も私たちの見学を受け入れ、船内を見せてくれる。

アールヌーヴォーの曲線を描く手すりに大きな鏡。
この階段、実際に登れます。
主に昔の船乗りたちが、船に女性の名前をつけて、航海の寂しさを紛らわせた。そんな話を聞いたことがある。
どうやらこの船も、その扱いを受けていたらしい。

ここでは「〜マラリヤの高熱のために死の苦しみを味わっている私を乗せて、連れ帰ってくれたのが彼女(注:氷川丸)であった。」の一文に注目してほしい。
上の資料は、氷川丸が戦時中に病院船として活躍した時代のもの。
真っ白な船体、煙突には赤十字。
遠い異国で戦う兵士たちに、その凛とした姿は、どんな見え方をしたんだろう。

病院船時代の氷川丸の絵。
白い煙突に大きな赤十字が書かれている。
また別の話で、
氷川丸が引退した時、舵を取り外すように指示した人がいたらしい。船を愛する人は、「ミロのビーナスの足を折れと?」と直ちに抗議したんだとか。
氷川丸、愛されてんな……
ついさっきまでは、歴史ある建造物で雰囲気すげ〜見学料300円安いな〜程度の印象だった氷川丸が、私の中で生きて見え始めた。
レーダーのない時代。星の光を頼りに、たくさんの乗客と共に13日も海を渡る。
そんな戦前であれ、病院船だった戦時中であれ、きっとこの船は、船乗りたちの第二の家だった。
船に女の子の名前をつける、その営みを少しだけ感じ取ることができた気がする。
荒れる海では頼れる母で、遠い異国まで迎えに来る姿は可憐な天使といったところか。

うっすら青くライトアップされている。
……氷川丸、美しいな。
外見はとても可愛いし、海を駆け続けた生き様はかっこいいし。
氷川丸をこんなにも美しくしたのは、氷川丸と共に生き、守った人がたくさんいたからなんだろう。
1930年なんて、94年前だ。94年も前の船が、まだ目の前にある。
現役時代に人や荷物を届けた氷川丸。引退後の今は、私に生きた歴史を届けてくれた。
私もそうやって、誰かに氷川丸を届けられる人になりたいね
歴史をちゃんと学ぶなら、このように不確かに妄想を働かせるのはあまり良くない。
だけど私は、こうして色々考えてようやく、歴史をまた一つ学べた気がする。
また会いに行きたい。