死ぬと言うこと
あなたが無駄にした今日は誰かが生きたかった今日だ、みたいな名言、知るかボケって思ってる。
今日は誰かに分けられるものじゃないから。
他人にとって価値あるものでも自分にとっては傍に置いておくのも憚られるほどなくしたいものってあると思う。
他人のためにどうして自分が我慢しないといけないのだ。
他人は他人、自分は自分。
生きてきた道も考え方も違う、苦しみも楽しみも痛みの感じ方も違う。
自分は耐えられない痛みを感じているのに他人が我慢できているなら自分も我慢しなければならないなんて。
死んではいけない。死んだらすべて終わり。
それには同意だけれど、それでも冒頭の言葉は死者に向かっても生きて今をなんとか耐えてる人に向かっても言うべきではないと思ってる。
食べ物を無駄にしたとき、今飢餓で苦しんでいる人がいるのに勿体ないと言われる。
では自分が無駄にしたこのひと口は飢餓で苦しんでいる人に直接分け与えられるものなのか。
なにかおかしい、と思ってる。
わたしの今日はわたしのものであり、他人の今日は他人のものだ。
誰かの1日を他人に分けてあげられる仕組みがあれば良かったのにね。
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