goodな従業員よりシニカルな従業員が評価される理由
数日前、知人から一緒に知っているAの話を聞くことになりました。 人はとてもいい人なのに...上司にいつも利用されるばかりで、同僚もAのことを好きではないようだ」という話でした。 そして、これとは対照的に、トラブルも多く起こし、生意気だけど仕事はしっかりしている同じ部署の別の社員(以下B)と、その2人の上司(以下C)が前者を大っぴらに無視し、後者ばかりを甘やかして回るという話もすることになりました。 これが今日の議論の出発点です。
私たちは通常、このような状況を善悪のフレームで見ます。上司が悪い人であり、人が良いから周りの同僚も無視するというようにね。 (暴言やいじめなど職場での嫌がらせは明らかに間違っています。 これを擁護するつもりは絶対にありません。 ただ、普通の人が集まって曖昧で、善悪の構図がはっきりしない場合がよくあるので、これについて取り上げてみたいと思います。)
Aは次のような会社員です。
人をよく信じます。 そして、周囲に協力的です。
頼まれたことは文句を言わずに一生懸命やるスタイルです。
しかし、ミスだらけで、同じミスを繰り返すことも多いです。
業務内容を十分に理解しているとは思えないのに、質問はしない。
仕事の進め方について細かくガイドラインを与えると、それに忠実に従いますが、状況が変わると、仕事の順番や内容を柔軟に変えることができません。状況が変わると、また最初から最後まで把握してもらわないと仕事が進みません。
小さな仕事でも大きな仕事でも、仕事の順番がうまく決まらず、デッドラインの概念があまりありません。 明らかに途中で合意して共有されたスケジュールなのに、それについて話すと初めて聞くような顔をします。
部署全体が非常に急なスケジュールに追われると、忙しく仕事をしなければならない時期であり、上司が部署全体にこのような状況を何度も共有したのに、その時期に予定になかった休暇を急に使うと言います。
担当した業務をしている最中に、突然変な仕事を一生懸命します。 客観的な状況上、急ぎでもない仕事を周囲と状況共有もせずに始めます。 なぜやるのかと聞くと、申し訳なさそうに「必要そうだから」としか言いません。
時々、何かをしたいと言いながら、その仕事の具体的な内容が何なのか、なぜやりたいのかが明確ではありません。
業務を進める中で何をしたのか、何を学んだのか、どんなことを新たに知ったのかを尋ねると、ただ呆れた表情をします。
対照的なスタイルのサラリーマンBがいます。
周囲とすぐに喧嘩をします。大きな声を出すこともしばしばあります。
自分が偉いと大っぴらに言うことはありませんが、他人より自分が優れていると思っているのが周りの人の目に見えます。
仕事に対する責任感があります。 そして、この会社で何を成し遂げ、その後はどのような目標を達成するのかという意思が非常に明確です。
仕事を始めるタイミングに正確にスタートし、熱心に突き進みます。
指示されたことも問題なくこなしますが、仕事の最初の方向性や方法が明確でないときは、自分の意見をしっかり出し、仕事の仕組みをうまく作ります。
上司が出した意見であっても、反論を提起します。
反論を提起する場合、理由や根拠、そしてその反論通りにした場合の達成可能な目標などについて論理的で明確です。
新しいことをたくさん知っているか、すぐに覚えます。
必要であれば夜勤や土日出勤も厭わず、周囲にもそれに参加することを要求します。
同僚はもちろん、上司にさえ、スケジュールが急いでいるから一緒に残業しようという話をします。
皆さんは、AとBについてどう思いますか? この人たちが部署の同僚、あるいはあなたの部下だったらどう思いますか?
理想化or売り言葉に買い言葉で極端な態度を見せるCさん
人の中には、優しくて成熟した大人しい人だけがいるわけではありません。 一部の人は、他人に攻撃性をすぐに発揮したり、自分の優位性を過度に信じて他人を利用する人がいます。 (このようなタイプを便宜上Cとします)。
AがCではなく、成熟して人に接することができる上司や同僚に出会うと、「頭が悪くて もどかしいけど いい人」という評価を受けるでしょうが、長い時間、周りで愛情を持って見守って助けてくれれば、自分の給料分はできる人に成長するでしょう。 そしてBのような場合には、「仕事はよくするが、意欲が過剰である」、「周りに負担をかけるので、もう少し優しく振る舞え」という評価と一緒に、徐々に角張った性格が丸くなったり、自分の性格に合った職場を探して去ることになると思われます。
しかし、Cのような性質を持つ方は、思ったより私たちの周りに、特に職場に多くあります。 会社という組織は成果を最優先するところなので、どうしても攻撃的に目標達成のために手段を選ばない人が生き残り、上に上がる可能性が高いところなのでそうです。
そしてCとAが出会ったとき、つまり、過度の攻撃性を持って他人を利用するのが好きなスタイルが人は良いですが、業務処理能力や自信、集中力などが弱い人と結合されると、決して楽しいことが起こることはありません。
Cの代表的な特徴は、思考があまり成熟していないことです。年齢や経験は関係ありません。 思考が成熟している」というのは、世界を様々な視点から見て、それぞれの立場を理解し、物事を良い/悪いという二項対立的に判断しないということです。政治や思想について二分法的なことは理解できますが、Cは人に対してもこのようにアプローチします。良い奴/悪い奴、あるいは自分が好きな奴か嫌いな奴に分けます。
だからCは「自分の好きな人」については、安易に理想化します。自分が好きで自分を高めてくれる人は、優しくて有能で素敵な人だと考えるのです。 Cは通常は加害者として認識されますが、自分が理想化した対象に利用される被害者でもあります。 自分が最高であるべきなのに、地位や権威、能力で勝てない人が現れると、自分とは次元が違うほど優れた人だと思い込んでしまうのです。そもそも自分とは違うレベルの人だと規格の外に置いておけば、自分のプライドは守れますから。 会社生活をしていると、常務の前ではダメ出しできないのに、課長や代理には王様のように君臨する上司をよく見かけます。同じようなもので、ランク外の常務は自分と比較対象ではありませんが、同じ舞台の上にいる私たちの中では自分が一番だという考え方です。しかも、理想化した対象が実は問題の多い人である場合、誰が見ても振り回されているのに、「事情があるんだろう」「本来はいい人なのに何かあったんだろう」などと合理化することもあります。
誰かを規格外の存在として理想化したから、その反動で誰かを無条件に貶してしまいます。人はバランスを求める存在でもあり、規格の中では自分が一番でなければなりませんから。 先ほど申し上げたように、人は善と悪で二分法的に裁くことができない存在ですが、Cタイプは理想化した人は無条件に包み込み、切り捨てた人は無条件に馬鹿で悪いと罵倒して叱ります。
そうすると、人はいいけど仕事は下手なAのような人はCの餌食になります。一方的に怒られ、利用されながら毎日を過ごすことになるのです。 いや、Cに立ち向かえばいいじゃないですか? Bのように堂々と自分の意見を言えばいいじゃないですか?
自分の問題を直視できないA
AにはAだけの問題があります。それは、自信と誠実さ、責任感、現実性の欠如です。
それなりに仕事も頑張ります。Bのように周りの人に厳しいことを言わないし、Cのように上司に怒られながらも、怒ることもできず、内心でうだうだと悩むので、当然会社生活が苦しくなります。しかし、現実性が欠如しているため、自分を客観的に判断することができません。むしろCが自分に理由もなく酷く振る舞うからつらいと思えばまだマシになるのに、ただ「職務が自分と合わない」、「世の中は不公平だ」、「運が悪かった」と考えてしまいます。 問題の原因をただ状況との不調和や、耳につければ耳飾り、鼻につければ鼻飾りである「運」で片付けてしまうのです。 ただ状況が悪かったと思えば「次に頑張ればいい」という結論になります。 そして運のせいにすれば、運が良くなるまでただじっとしていればいいのです。どんな場合も自分のせいではないので、自分が変わる必要はありません。
人が社会生活の中で成熟するということは、おおよそ3つの段階で行われるそうです。 (私の考えではなく、抜粋したものですが、出典が思い出せないですね...必ず表記します)
自分の立場と考えを持つこと、
その考えが世界と自分が所属している組織の常識の範囲内でなければなりません。
そして最終的には、個人の考えが複数の人が一緒にいる集団の肯定的な価値観と同化しなければなりません。
ところで、成熟の出発点となる「自分の立場と考え」を持つためには、自分を振り返ることができなければなりません。 しかし、Aは自己省察ができないのが問題です。Aタイプは仕事の体系化や優先順位をつける能力が不足しているのが本当の原因ですが、それを直視できません。 (余談ですが、Bのような場合は能力があるから自己反省もしたのかというと、そうではありません。 Bは自己反省ではなく、理性的な判断や分析などの知能を通じて自分の考えを持つようになったケースです。成熟とは程遠いもので、知識と分析だけでは耐えられない状況が来ると、大きな挫折を味わうことになります).
うーん、じゃあAはバカだから、いじめられるに値するし、社会から追い出されてもいいということになるのでしょうか?
もちろんそうではありません。 ただ、自分の問題点を直視すれば、より具体的で現実的な解決策を見つけることができるということを言いたかったのです。 仕事のせい、運のせいにしていては何も変わらないし、同じ問題が繰り返されるだけですから。
例えば、自分が仕事自体についてよく知らないということに気づいたら、仕事に関する本を見たり、講義を聞いたりすることもできます。仕事が上手な人のところに行って聞くこともできます。
仕事は知っているが、仕事を進める仕組みがないと思うなら、日記に整理したり、Googleカレンダーに進捗状況別にスケジュールを記入したり、リマインダーの設定もできます。あるいは、周りの優秀な人にスケジュールを管理してもらったり、仕事を進めるプロセスを教えてもらったりすることもできます。
私の知人の中には、自分が仕事が本当にできないということに30代前半で気づいた人がいます。この方は、その瞬間から毎年日記を5冊以上書くほど、自分の仕事とスケジュールを細かくチェックしました。 会議の時間に出た上司の言葉を一字一句間違えないように書き留めて再確認し、わからないところは自分より若い社員まで訪ねて聞いて確認しながら仕事を進めました。 このような過程を経て、たとえ仕事ができる人ではないにしても、1人でできる人になったのです。
会社にも成熟した人がたくさんいて、Aのような人に足りないところは教えて助けながら埋めて、Bのような過度な面は調整できるように機会を与えればいいのですが、組織というところは属性上、そうなりにくいのが現実です。
何よりも他人を利用して自分が優位に立とうとする未熟なCのような人が多く、自分を客観的に見えず問題を回避する人、そして頭は良いが他人に共感したり、一緒に働く方法を知らない人もいるところが会社なので、私たちの職場生活は厳しいようです。
もう少し良い職場生活と人生のためには、まず自己を見つめ直し、共同体が持つ否定的な面は直視し、肯定的な面は受け入れて体化しようとする努力が必要だと思います。物理的な年齢や経験が積まれると、必ずしも成熟するわけではないからです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?