ファンタジーで作問?
こんばんは。今日は思い出話からスタートです。
高校1年の頃古典を習っていた先生が、このような話をしていました。
「いつかファンタジーでテストの問題を作るのが目標なんだ」
彼はものすごい人で、「私は悪魔だから年齢を聞くな」とか、「私の発話は9割が反語と皮肉」「漢文とドイツ語を混ぜた日記を書いている」など、とにかく伝説が多く、進学校に進んだ1年生に洗礼を浴びせるタイプの先生でした。年に3回ある実力テストでは恋愛小説を出してきて、生徒が解けないと「朴念仁」と講評を返すような人でした。でも、強烈ながら授業はわかりやすかったし、彼に一年間みっちり古典を習ったおかげでその後楽だったという側面もあります。
それくらい強烈な個性を持った先生なのですが、一番印象に残っているセリフが授業の内容とかキャラの濃さを示すセリフではなくて「ファンタジーでテストの問題を作りたい」。なぜ残っているのかはわかりませんが、確かに模試や問題集などの小説でファンタジーが取り上げられているのをあまり見たことがないです。古文や漢文なら怪奇ものも出てくるのに。あと泉鏡花の幻想小説や宮沢賢治の童話くらいならまだありそうだと思います。
もちろん、いわゆる「ファンタジー小説」という概念ができたのがトールキン以後だとする言説が主流で、かつ日本における戦後ファンタジー小説が主に翻訳、児童文学、漫画、アニメなどを中心に発展してきているという背景から、高校国語の教材、問題の素材として取り上げにくい側面があるというのはなんとなく理解できます。現代小説で模試の問題になっているのを見たことがあるのは『羊と鋼の森』や『聖夜』くらいなので、現代の大人向けとも言えるファンタジーが出てくるのにはまだ時間があるのかもしれません。
それに、短い抜粋では世界観が読み取れないから切り出せないという点で素材にならないというのもなんとなくわかります。それこそトールキンの『指輪物語』を一部抜粋で、となればおそらく名前と関係性を理解するのに相当時間がかかります。でも、そういうスタンスの理解が難しいというのは長編小説を抜粋した場合も同じような気がするのです。
一応ファンタジーを研究のメインに据えている上に、今授業で岩波少年文庫(の中でも特にイギリス児童文学でファンタジーに近い作品群)を延々読んでいるので、文学としてファンタジーが亜流だとか、論じられないとか、子供騙しのものだとかとは考えていません。むしろ、ファンタジーにもかなり論じるポイントはあると思っています。例えば『ジャングル・ブック』で無秩序の象徴とも読めるジャングルにおきてという名の秩序を持ち込み、動物も現地人(作中表現的にインド人)にも全て同じ言語を話させるという仕組み、イギリス児童文学にはよく登場する「階級」と「大英帝国」の問題など。純文学に押されて研究の場では邪道に近いのは悲しいところです。
もちろん、受験対策の問題を作るのにどうするか、というテクニックはまた必要になると思います。文章を「正しく」読解する、という作業がどういうものなのかという問題はありますが、例えばよく「心情」について問うていることの多いところを「世界観」や「設定」に焦点を当てる、語り手の特徴を挙げるといった方向でなら問いが立てられるのではないか。そんなことを考えてみています。
相当すごい先生だと私が思っている先生でさえ、いつかは、というほどの難しさがあるのだから、私ができたとしても相当後のことなのだと思うのですが。それでも、いつか国語の教科書や教材としてファンタジーを取り上げられるような日が来るといいななんて思っています。
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