見出し画像

『場を支配する「悪の論理」技法』

 こちらは私が大いに崇敬し、かつ、師匠であるとつげき東北の書籍。

 この書籍が先日、発売された。
 そして、発売直後に増刷された。
 非常にめでたい。

 そこで、今日はこの本を紹介したい。


1 とつげき東北とは

 まず、著者であるとつげき東北について。

 とつげき東北(以下、「とつ」と言う)は、冠絶の麻雀研究家兼ニート志望家である(注1)。
 ・・・という冗談はさておき、とつは『科学する麻雀』の著者である。

 この本は、麻雀界に革命をもたらした本である。
 なぜなら、この本は「最適戦術を導くための方法論」が示されている本だからである。
 つまり、従前の麻雀戦術書では、「こういう状況ではこう打て」としか書かれていないが、この書籍では、「こういう状況での最善手はこう求めよ」と書かれている。
 この点こそ、麻雀研究にとって必読の書となっている最大の理由である。

 この本を出版したとつは、麻雀研究の第一人者として長く麻雀界に君臨することになる。
 もちろん、私やnisiさんなどの現在の麻雀研究者も彼の影響を受けている。
 それくらいの影響力を麻雀界に与えたのである。


 なお、ネットでのとつを見ていると、愚者を嘲笑し、他人を論破して遊んでいるある種「鬱陶しい」人間に映るかもしれない。
 しかし、実際の(リアルの)とつは非常に温厚であり、友人・知人を大切にする人である。
 私自身、とつと会って約10年が経過するが、麻雀関連・麻雀以外で彼から教わったことは測り知れない。
 とつは周りの知人から見て十分利他的な人間である。
 もちろん、敵に回したらこれほど恐ろしい人間もいないが。


2 本書の説明

 まず、本書のタイトルについて。

 本書のタイトルで用いられている「悪の論理」とは何か。
 悪の論理を定義すると、「間違っているが、一見正しい論理」のこと。
 多少言葉を足せば、「論理的に間違っているが、有用性などの観点から利用されているだけなのに、論理的にも正しいと誤解されているもの」になる。

 本書は3つの章と付録からなる(章という言葉は使われていないが、便宜的にこの表現を用いる)。


 まず、第1章では、議論の記録から始まり、悪の論理の技法が使われている典型的な例が示されている。
 この議論記録を読むと、「こんな愚者がいるのか」と思うかもしれないが、これらは実際になされた議論記録である。
 また、似たような議論記録は他にもある。
 もし第1章を見て、他の例をもっと見たいと思うのであれば、「名言と愚行に関するウィキ」の議論記録を見てほしい。

名言と愚行に関するウィキ
http://totutohoku.b23.coreserver.jp/totutohoku/

 第2章は「悪の論理」の具体例が紹介されている。

 例えば、「前件否定の誤謬」とか「対人論証」とか「未知論証」などは法学の分野で用いられている。
  せっかくなので具体例を示そう。

(「身体拘束を受けている被告人は取り調べを受忍する義務を負うか」という論点に関して)刑訴法198条1項但書は「被疑者は、『逮捕又は勾留されている場合を除いて』は、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。」と規定し、逮捕・勾留されている人間のみいつでも退去することができる旨規定している。よって、逮捕・勾留されている人間は出頭を拒み・出頭後自由に退去することはできず、取り調べを受忍する義務を負う。
 ちなみに、これは日本の捜査実務の解釈である(もっとも、これを真正面から扱った判例はないが)。

(「共犯者の証言は信用できるか」という論点に関して)共犯者は自己の罪科を軽減しようとする目的で他人を引っ張り込む危険があることがあるため、その信用性の判断には第三者の証言と比較して慎重になる。

 また、当事者が主要事実の存在の主張立証を尽くしたが、裁判官がその真実について真偽不明(ノン・リケット)に陥った場合、その事実は存在しないものとして判断される。
 刑事裁判においては、犯人の同一性・犯罪の存在についての立証を尽くしたが、真偽不明に陥った場合、無罪の判決を下さなければならない(刑事訴訟法336条)。

 このように、本著で定義される「悪の論理」が用いられている場面はそれなりに存在している。
 そして、これらの論理は「社会を回すため」にそれなりに機能している。
 もっとも、「社会を回すために必要」→「論理的正しさ」ではない、それが本書で強調されている部分である。
 他方、「論理的に正しくない」→「社会的に不要」でもない、ということには注意しなければならない。
 本書で勧めていることは、「反・道徳の勧め」ではなく、「脱・道徳の勧め」である。


 第3章は、「道徳とは何か」「道徳の正当性を担保しているものは何か」について語られている。
 日頃、道徳に対して持っているもやもやを持っている人はそのもやもや感の原因が分かることだろう(もやもや感がなくなるとまでは思わないが)。
「科学は何故正しいのか」に関する記載は理系の人間にとっても参考になることだろう。


 そして、最後に付録が掲載されている。
  この付録には、他の「悪の論理」の具体例が示されている。


3 本書を勧めたい人

 本書を勧めたい人は次のとおりである。

 まず、「論理」について知りたい人。
 この本の議論記録や具体例を読めば、「間違った論理」の具体例について分かる。
 これを知っていて、使われていることに気付けば、それだけで賢くなれるだろう。

 次に、「社会・システム」についてモヤモヤとしている人。この本の3章を読むことでその原因が分かる。
 原因が分かることで、モヤモヤ感の原因が分かり、モヤモヤ感が緩和されるか、払しょくされることだろう。

 さらに、理系の学生(東大生含む)にもこの本を読むことをお勧めしたい。
 意外に、この本に書かれた知識を学ぶカリキュラムが少ない。
「論理とは何か」「科学は何故正しいのか」など、自分が拠って立っている前提について知ることができる。

 さらに、麻雀関係者、特に量産型デジタルにもこの本をお勧めしたい。
 この本にはとつの思想が詰まっている。
『科学する麻雀』の思想的背景を知るうえで、この本は重要である。
 とつを批判するとしても、この本を読んでから批判した方が建設的である。


4 最後に

 一点だけ注意を。この本を真面目に実行しようと思わないこと。この本は「思想から自由になること」を述べているが、「真面目にこの本を読み、この本の通りになすこと」という自体、この趣旨に逆行する。これについては次の文章を参考にするとよい。

http://totutohoku.b23.coreserver.jp/totutohoku/index.php?%A1%CA%B2%F2%C0%E2%A1%CB%A4%B3%A4%CE%A5%A6%A5%A3%A5%AD%A4%CF%B6%D8%BB%DF%CD%D1%B8%EC%BD%B8%A4%C7%A4%CF%A4%CA%A4%A4

 
 最後に、私の感想を。
 この本に書かれていたことをもっと早く、具体的には大学時代に知っておきたかった。
 であれば、私はもっと別の豊かな人生を歩めていたことだろう、そう確信している。
 もっとも、その場合、私が麻雀研究をすることもなく、また、凸と親しくなることもなく、その意味で私にとって幸せであったかどうかはわからないが。
 

(注1)この呼称は http://totutohoku.b23.coreserver.jp/hp/saikyou21.htm で用いられている。

もし気が向いたら、サポートしていただければありがたいです。 なお、サポートしていただいた分は、麻雀研究費用に充てさせていただきます。