episode 00 【トゲノ、オヒメサマ】
昔々、大きな山間に才の国(サイノクニ)という小さな国がありました。
その国にはヒトと、体に棘を持つ棘人(シジン)という種族が暮らしていました。
ヒトは丈夫な体を活かし、土地を切り開いて、隣国へ赴き交易を行い、国の財政を確保していました。
棘人は賢く手先が器用ですが体がヒトよりも弱いため、薬を作ったり、食物を育てる知恵をヒトへ授け、国全体の管理・調和を保ってきました。
二つの種族は互いに補い合い、長い間平和に暮らしていました。
______
ある日のこと…
ヒトの商人が交易報告のために棘人の屋敷に訪れます。しかし主は留守だったので、商人は主が戻ってくるまで客室で待つことになりました。
そこに主の娘である姫君が通りかかり、時間を持て余している商人へ声をかけたのです。
姫は長く艶のある髪を束ね、真っ白な着物を纏い、それはそれは綺麗なお姿でした。
姫「あら、そこのお方はどちらから来たのかしら?」
商「私はしがない商人でございます。今日は、交易の報告に参りました」
姫「交易?それでは、アナタは国の外に出ている方なのですか?」
商「左様でございます。主様が治めているこの国をより良く反映させるため、働かせていただいております」
『姫様、このような所でお話などしている時間はないのですよ?さ、参りましょう』
姫の家令が慣れた様子で二人の会話に割って入ります。
姫「お待ちなさい、交易をしているのなら外の世界をよく知る者という事でしょう?」
『まぁ…おっしゃる通りですが。姫様、何か良からぬことをお考えではないでしょうな?』
姫「私はこの方の話を聞いてみたいのです。アナタ、家事の経験はありますか?」
商「わ、私ですか?」
姫からの突然の申し出に、商人は驚きます。
『なりませんぞ姫様!お父様に黙って勝手に使用人を増やすなど!』
姫「小言ばかり言って頭の固いオジィですこと。…わかりました」
『わかっていただければ結構』
姫「そうではありません。今後、交易の報告は私にしてちょうだい」
『姫様!またそのような勝手を言って…』
姫の家令は、それはそれはうんざりした顔をしていました。しかし、姫も引きません。
姫「私はいつかこの国を治める事になるのです。今のうちから外の世界を知る良い機会になるのではありませんか?」
『その必要が無いように、ヒトの商人に交易を任せているのではありませんか』
姫「その様な固い考えは捨て去りなさい。本来ならば我々も汗水垂らして働くべきなのです。アナタもそうお思いでしょう?」
商「え、いや…私は仕事をいただいている身分ですので…ははは」
姫の迫力に商人も、家令もすっかり黙ってしまいました。
姫「文句ないわね、オジィ?」
『うむむ…ご主人様に何と説明すればいいものか…』
こうして、姫のわがままなお願いを家令は聞くしかありませんでした。
帰ってきた主人は驚きましたが、姫の必死の説得によって許してしまいます。
そうと決まれば、姫は商人に今後の報告時間や日付の約束を決めてしまうのでした。
______
それから一年ほど経ち…
姫は屋敷での退屈な日々の中で、商人から外の世界のお話を聞くことが唯一の楽しみでした。外で見る景色、虫、咲いている花の色と香りなど色々な話をしてきました。
しかし、そんな姫にとって悲しい出来事が起こります。
姫「才の村へ剣の修行に行くですって?」
商「はい。交易商は道中で盗賊などに襲われる危険が付き物なのです。今後も続けていくには刀も扱えないといけないと思いまして」
姫「そんな…ではこれから誰が報告に来るのですか?」
商「私の弟子がおりますので、その者が伺います。今までお話ししたことも彼が一緒にいた時のことですから」
姫「こ、困ります!そんな急に…」
商「ひ、姫様が困るのですか?」
姫「あ…いえ、その…と、とにかく商人の雇用は手続きとか大変なの!」
商「そうでしたか、姫様の都合も考えず決めてしまって申し訳ありません」
商人は申し訳なさそうな笑顔で謝るのでした。
姫「修行に行くと決めたとき。私の事は…考えてくれなかったの?」
商「え?」
【姫は、商人に恋をしていました】
姫「なんでもありません。ここを発つのはいつなのですか?」
商「丁度ひと月後の夕刻あたりです」
姫「…わかりました。ではそれまでに弟子の方ともご挨拶しなければいけませんね」
商「はい。気に入ってくれるといいのですが。ははは」
その日の報告は、いつも通りの時間に終わりましたが、姫は何か考えている様でした。
______
それから数日後…
突然家の扉がドンドンドン!と大きな音をたて、商人は慌てて飛び起きます。
商「こんな夜遅くに…迷惑な」
扉を開けるとそこにいたのは、姫の家令だったのです。
商「えぇ!?オジィ殿ではありませんか。こんな時間に一体どうされたのです?」
オ「お主!姫様に何か良からぬことを吹き込んだのではあるまいな?」
家令は血相を変えて商人ににじり寄ります。
商「滅相もない!私のような者が姫様に何を言ったというのですか?」
商人は何のことだかさっぱりわかりません。
オ「ぬぅ、やはり説明せねばなるまいか…」
商「姫様に何かあったのですか?体調を崩されたのですか?オジィ殿!」
オ「困ったものです。好きな男と駆け落ちするなどど言っておりましてな」
商「か…駆け落ち!?姫様がですか?」
オ「他にどの姫がおる!」
商「姫様が駆け落ちなんかしたら、国の一大事じゃないですか!」
オ「だから!ここに!来たのです!」
家令は商人が着ている服を強く掴み、何かを訴えるように言いました。
商「だから私のところに来た?というのは…」
商人はオジィ殿が何を言っているのかわかっていません。
オ「姫様はなんでこんな朴念仁のことを…はぁぁ。お主、出発の準備は進んでいるか?」
商「え?あ、はい。少し早いですが、荷物もほとんどまとめましたのでいつでも行けるよう準備しております」
オ「よし。お主、出発を少し早めても良いか?」
商「え?はい、それは大丈夫ですが…オジィ殿、なぜ急に?」
オ「武を身に着けるのに早いに越したことは無かろう。向こうの方にはワシが書状を出しておくから安心せい。では、よいな?」
商「はい、わかりました」
商人は訳が分からないまま返事をしてしまい、出発の日付を早めてしまいます。それは姫様とのお別れの日も早まるという事に気が付きませんでした。
______
それから数日後、商人はいつもの様に交易の報告の為に屋敷に訪れます。
商「報告に参りました」
主「よく来たな。では聞かせてくれ」
商「はい…!あ、あなたは」
主「なぜ驚く?国の主人に報告するのは当然であろう?」
商人の前に現れたのは、姫ではなく屋敷の主人でした。
商「は、はい。それでは申し上げます」
報告を終えた商人はどうしても主人に聞いておきたい事がありました。
商「失礼を承知でお伺いしたいことがございます!」
主「なんだ?申してみよ」
商「姫様は何故本日お出でではないのでしょうか?お体の調子を崩されたのでしょうか?」
主「そんなことか。わしの娘は最近良からぬ妄想など巡らせておってな。今のままでは今後の国の未来に影響を与えかねん」
商「…」
主「今は、少し大人しくしてもらっている」
主人の言葉に商人は、オジィ殿の方を見てしまいます。
オ「…っ」
商人と目が合ったオジィ殿は目で何かを伝えようとしていますが、商人はわかりません。
主「ジィよ、どこを見ている?お前の主人は私だ」
オ「も、申し訳ございません」
主「聞きたいことはもう無かろう。下がってよいぞ」
商人はそのまま屋敷から帰されてしまいました。
商「私が何も言わずに修行の事を決めたから、姫様も何も言わずに報告係をやめてしまったのだろうか…」
______
その日の夜。商人は弟子に今日の事を話しました。
商「一体どうなっているのだろうか…」
弟「師匠は商売以外何にも出来ないんでございやすね」
商「何を言うかね。これでも炊事・洗濯・掃除まで何でも一人でこなしてきたもんだよ?」
商人の弟子はたいそう大きなため息をつき、こう言いました。
弟「一人でなんでもやってきたから、何にも気づかないんでしょうね」
商「一人で家事をこなして何が問題あるっていうんだい」
弟「師匠は好きになったお人はいるんですかい?」
商「何が関係あるんd…」
弟「いいから、言ってみてくださいよ」
商「…うーん」
弟「コレですもんなぁ。師匠がこんなんじゃ弟子もオチオチ安心して修行に行かせられませんぜ?」
商「だから、何が言いたいってんだい?」
弟「決まってんでしょう?姫様は師匠に惚れてて、んで急に修行に行くなんて言われたもんだからびっくらこいて駆け落ちするって言いだして!あげくの果てには父親から”もう会うな”とか何とか言われて、今頃どこかで身動き取れなくなってんでしょうよ!」
商「な!?いきなり何を言い出すかと思えば…」
商人の顔は見る見る真っ赤になりました。
弟「で!オジィ殿が来たのは、師匠が出発する日なんて姫様に言っちゃったもんだから、内緒で時期をずらして駆け落ちを止めようとしてるんでしょう?」
商人の頭の中で色々な出来事、言葉が繋がっていきました。
弟「馬鹿野郎ですよ師匠は!なんでこれっぽっちも気づいてやれねぇんですかい!刀で自分の命守る前に、好きなお人の気持ち一つ大事にできねぇんですか!」
商「そ、そんなこと言われても…」
弟「!!!」
商「ぐはっ!ったた、いきなり殴ることないだろうに!」
弟子は商人を思いっきり殴ったのです。
弟「アンタ…本当に姫様置いて修行に行くつもりですか!?」
商「…」
弟「何とか言ってくださいよ!」
商「私はただの商人だよ。そして向こうは一国の姫様だ。一緒になんかなれやしないさ、どうしようもないんだよ…」
商人も本当は姫の事を大事に考えていました。ですが、身分の違い過ぎる事もあり、どうすることも出来ませんでした。
弟「ま、アレしかないでしょうな」
商「アレって…まさか!?」
弟「駆け落ちしかないでしょうね」
商「言葉に気をつけなさい!そんなことがバレたらこの国はどうなる?ヒトが棘人の姫と駆け落ち?一大事になるぞ!」
弟「師匠…商人の前に一人の男でしょう?こんな時まで商人のフリするつもりですかい?」
商「だとしても、どうやって…」
弟「良い考えがあるんでさぁ…へへ」
弟子はニヤリと笑うと、ある作戦を商人に提案します。
商人の出発の日は、丁度弟子が屋敷に報告に行く日でした。それを利用して、弟子が運ぶ荷車に商人が隠れて屋敷に忍び込むというものでした。
商「しかし、本当に大丈夫なのだろうか…」
商人は駆け落ちした後のことを考えると決心がつきません。
商「そもそも私のことなど好いてくれているかも分らぬのにこのような計画を企てて…」
弟「四の五のやかましいですよ、師匠」
商「んん……」
弟「師匠も惚れてんでしょう?姫様に!?」
商「大きな声で言うんじゃないよ!お役人にでも聞かれたらどうするんだい!」
弟「じゃ、決行は明後日の夜ですからね。それと、何かあった時の為にこの小刀を持ってて下さい」
商「何かって、怖いこと言わないでおくれよ」
弟「お屋敷ですからね。荷物の確認係もいれば、護衛もいるでしょう?いざという時の為です」
商「わかったよ、預かっておこう」
商人はその夜、今までの事を思い出していました。商人を始めたばかりの頃の事、初めて交易に出かけた時の事。でも、一番浮かんでくるのは姫との思い出ばかりでした。
商「…(この町ともしばらくお別れか。いや…もう戻ってくることは出来ないかもしれないな)」
その夜。姫への想いと駆け落ちの事、色々なことが頭を巡り、なかなか眠れませんでした。
______
二日後_夕刻
荷物をまとめた商人は言われた通り、弟子の引く荷車に乗り込みます。
商「本当に大丈夫なんだろうね」
弟「任せてくださいよ。何年一緒にやってきたと思ってるんです?」
商「この小刀の出番がないことを祈ってるよ」
弟「ちゃんと返してくださいね、師匠?」
商「おや?冥途の土産に私に譲ってくれるんじゃないのかい?」
弟「何馬鹿な事言ってんです?終わったら利子付けて返してもらいますからね?有名な刀鍛冶に打ってもらった上物なんですから」
商「ははは。そうか、じゃあまた会えるよう頑張らねばな」
二人はこれが最後の会話になるかもしれないと思いつつ、いつも通り冗談を言い合うのでした。
弟「では、いきますよ」
商「お前さんよ」
弟「なんです?これからって時に」
商「ありがとう」
弟「はは。何を言うかと思えば…水臭い事言わんでくださいよ」
商「好きな人のために命賭けるなんてね。今までの私ではあり得ないことだよ」
弟「やっと素直になりましたね、師匠」
商「荷物と一緒に丸まってちゃ、恰好もつかないけどね。ははは」
弟「違いませんね、わはは」
______
屋敷_門
弟子が屋敷の前までやってくると、二人組の門番が現れました。
『そこの者、止まるのだ』
弟「はいはい」
『今日は何用で来たのだ?』
弟「いつもの通り、交易の報告にございます」
『そうか、いつもご苦労であるな。では我々もいつも通り荷物を調べさせてもらうぞ』
弟「どうぞどうぞ…ん、おや?あそこに見えるのは姫様じゃありませんか?こんな時間に急いでどこへ行くんでしょうね?」
『なに?姫様だって?そんな馬鹿な!今は屋敷の奥の間にいるハズじゃ…おい本当か?』
弟「いやいや、あんな綺麗な方を見間違ったりしませんよ。ありゃあ姫様でしたよ」
『お主、確認してくるからそこで大人しく待っていなさい!』
弟「わかりました。ここでゆっくり待っておりますよ」
そう言うと門番達は一目散に弟子の視線の先にいた人影へ走って行ってしまいました。
弟「屋敷の奥の間、だそうですぜ師匠。探す手間が省けましたねぇ」
商「お前さんは人を騙す天才だね」
商人は素早く荷車から降り、屋敷の裏手へ消えていきました。
すると、門番達が息を切らして戻ってきました。
『はぁ、はぁ、お主!あれのどこが姫様に見えたのだ?ただの町娘ではないか』
弟「おや、違いましたか?すいませんねぇ、最近姫様のお顔を見てないもんで…ははは」
『まったく人騒がせな奴め。もうよい、行っていいぞ』
______
屋敷に忍び込むことに成功した商人は早速奥の間を目指します。
奥の間が間近になった時、中から声が聞こえてきました。
主「今日が終わればあの商人はこの町から姿を消す。間違いないな?ジィよ」
オ「はい。あちらの村には書状を出しておりますので道中で迎えも来るはずです」
主「よし。あとは…お前だな。よりにもよってあんなしがない商人など好きになりおって、お前にはもっと相応しい男を私が用意してやるというのに」
姫「そんな者必要ありません!私は自由に人を愛することも出来ないのですか?」
主「愛?そんなもの必要ない。お前はこの国の繁栄のため、隣国の者と縁談の予定があったのだ。それをまぁ…外の世界がどうこう言いおって。どうせあの商人の口車に騙されたのであろうな。可哀想に…」
姫「あの方は!この国の繁栄の為に働いていると仰ってました!私のようなものでもこの国の役に立てるのは嬉しいと!その言葉と、思いを侮辱しないでください!」
主「ふん、どうだかな。口先で仕事をしている者の言うことなど信用ならんわ。ジィよ、この状態では動くことも出来ないだろうが、念のため明日の朝まで見張っておけ。私はこれからしがない商人のくだらない報告を聞かねばならんのでな」
オ「仰せのままに、ご主人様」
商「…」
商人は怒りに震えていました。実の娘にひどい仕打ちをする主に対して。そして、この国の為に働いてきた自分と、一緒に働く仲間たちの事を侮辱された事に…
気持ちを抑え、奥の間の裏戸まで移動します。そして…
商「姫。姫、私です」
姫「え?その声は…」
商「こちらを向かずに聞いていただきたいのです。でないとオジィ殿にバレてしまいます」
姫「もう...出発していると思っていました」
商「えぇ、その前にご挨拶しておかねばと思いまして、遠路はるばる屋敷裏まで参りました」
姫「こんな状況で何を呑気に挨拶などと言っているのですか?見つかったら殺されてしまいます」
商「わかっております。ですから手短に済ませます」
商人の“手短に”という言葉に姫は、もうこれでお別れなんだと覚悟します。
これから先、もう二度と会うことは無いのだと。
姫「せめて最後に、アナタの顔を見たかった…」
【姫、今日は月が綺麗ですよ】
姫「…え?何を言ってるの?」
商「今日はね。とても月が綺麗なんです」
姫は商人が何故月のことを言っているのか、分かりません。
商「一緒に見ませんか?」
姫はその言葉の持つ意味を全て理解しました。
姫「見たい。アナタの隣で月を…あぁ、なんてことなの」
姫の瞳からは大粒の涙が流れていました。すると……
オ「あぁ、見張りばかりも疲れるわい。綺麗な月でも眺めてくるかのう」
急にオジィ殿が大きな大きな独り言を言って、奥の間から出て行ってしまいました。
姫「オジィ…」
商「姫、今しかありません」
商人が奥の間に入り姫を探すと、そこには目を疑う光景がありました。
商「これは!なんと酷いことを…」
姫は、着ていた着物の一枚一枚を壁に張り付けられ、あげく両手は縄で縛られていたのです。
商人は弟子から受け取った小刀を使い縄を切り、張り付けられた着物を引き裂きました。
商「さ、行きましょう。姫」
姫「はい!」
二人はすぐさま商人が来た道を走って行きました。
オ「なんじゃ、月なんか出とらんではないか。あのうつけ者め…これだから商人の言うことは信用ならん」
オジィ殿はにっこりと曇った空を眺めていました。
______
弟「師匠、コッチです」
商「おぉ、そっちも無事だったかい」
弟子はニヤリと笑うと、
弟「やりゃあ、出来るじゃないですか。さ、行きましょう」
商人と姫は荷車に潜り込みます。
そして、屋敷の扉を出たところで急に屋敷の中から鐘の音が鳴り響いたのです。
カンカンカン…
弟「ありゃあ、これはバレましたね」
商「何を呑気な事言ってるんだい、早く町を出ないと捕まってしまうよ」
この国では非常時に屋敷の鐘を鳴らし、町の出入り口の門が閉じて、全ての出入りを監視する規則になっています。
弟「いや、このまま門まで行っても荷車を確認されちまいますね…どうしますかねぇ」
商「そんな、ここまできたというのに…」
姫「私に考えがあります」
この状況に割って入ったのは、なんと姫でした。
弟「えぇ?姫様。考えがあるって…こんな状況で何をするおつもりですかい?」
姫「まず人のいない場所に行ってください、そこでお話しします」
弟「お任せくだせぇ、ちょっくら揺れますよ?」
弟子は颯爽と荷車を走らせ、人通りの少ない路地の裏までやってきました。
弟「はぁ、はぁ、姫様。ここなら、しばらく大丈夫でしょう」
弟子がそう言うと姫が荷車から降りてきます。釣られて商人も降ります。
すると、いきなり姫が着物を一枚一枚脱ぎだしたのです。
商「な、な、な、なにしてるんだい姫?」
商人は顔を真っ赤にして、慌てています。
姫はこう言いました…
【私の髪と、棘を切り落として】
商人と弟子は耳を疑いました。
姫「荷車の確認の時に私だと分からなければよいのでしょう?」
弟「しかしですね…髪はともかく、その棘を切ったりなんかしたら大怪我しますよ?姫様」
姫「構いません。生涯を懸けてここにいるのです。斬られる痛みなど、どうってことありません!」
商「白刃踏むべし。か…」
姫の真剣な眼差しに、商人は小刀を取り出します。
弟「師匠!本気でやるんですかい?好いたお人に刀を…」
商「私だって愛する人にこんなことしたくないさ。でも姫はそれでも私に付いてきてくれたんだ。今決断しなきゃ、全てが無駄になるんだ」
商人は姫の長くて綺麗な髪を切り落とします。
弟「見てられませんよ…師匠」
そして、姫は体に生えている棘を切り落としやすいように両腕を商人へ差し出しました。
商「いきますよ?姫」
姫「はい。おねがいします」
商人は小刀で姫の肩から手首までの棘を、そして背中にかけて生えている棘も残らず切り落としました。
姫「あぁぁ!うぅ...」
切り落としたのは棘とはいえ、姫の体の一部。切り口からは多くの血が流れ出していました。
商「姫、これを」
商人は自分が来ていた浅葱色の羽織を姫にかけてあげました。
弟「では、行きますよ。師匠」
弟子はもう一度来た道を戻り、門まで走ります。
『そこの者、止まるのだ』
急ぐ弟子たちの前に大勢の役人達が立ちはだかります。
『今は非常時だ、こんな時にどこへ行こうというのだ?』
弟「いやあ、私も非常時でして...なんとか通してもらえませんかねぇ」
『怪しい奴め。非常時とはどんな事情か説明してみよ』
役人はすっかり弟子を怪しんでいます。
弟「あ~、いや何て言うか...」
『まぁいい、荷物を調べさせてもらうぞ』
弟子の緊張が最高潮に高まったその時、
『お主ら、何をしておるのだ。姫と賊は見つかったのか?』
その場に現れたのは、オジィ殿でした。
『家令様。まだですが、怪しい奴がおりました。これから調べるところです』
オ「そうか、ではわしも一緒に立ち会うとしよう」
『しかし、家令様...』
突然の申し出に役人は戸惑っています。
オ「ワシは姫の顔は勿論、賊の顔も見ている。お主らは荷物を調べる以外にやることがなかろう」
『え、えぇ...まぁ』
そう言うとオジィ殿は弟子ににじり寄り、
オ「さて…この者が何を隠しておるのか見ものじゃのう。事によってはこの場で切り捨ててやろう」
オジィ殿の迫力に弟子の顔は真っ青です。
オ「どれ...これは!」
『やはりですか!おい、縄を持って…』
オ「この馬鹿者が!こんな重傷の娘を引き留めてどうする!早く手当てしないと死んでしまうではないか!」
『そ、そんな…』
役人は確認のためオジィ殿のいる側に回り込みます。
オ「もうよい!この娘が姫である訳がなかろう。見ろ、髪も短いうえに、こんなに血まみれで可哀そうに…これでもまだ引き留めるか!」
『わ、わかりました。おい、行ってよいぞ。紛らわしい事をするんじゃないぞ?』
弟「すいやせんね。では急ぎますんで」
こうして三人は何とか国を出ることに成功したのでした。
商「オジィ殿。この恩はいつか…必ず!」
それから商人は道の途中で隣国の使いと落ち合い、無事に到着しました。
姫はすぐに手当てを受け、命に別状はありませんでした。
ですが、商人がかけてあげた浅葱色の着物は姫の血で真っ赤に染まってしまっていたのでした…
______
姫と商人が駆け落ちしてから十数年後…
とある村の路地裏。
?「とまぁ、そんなこんなありまして、二人は幸せに暮らしましたとさって話です」
『へぇ~。それはそうと、その後の才の国はどうなったんだい?』
?「えぇ、えぇ、大変だったんですよ。それからも」
『と言うと?』
?「姫が行方をくらました後、国の主人が怒り狂ってヒトと棘人の交流を断絶しちまったんです」
『まぁ…気持ちはわからん事もないが』
?「それから才の国は衰退の一途。知恵を授けられたヒトはうまいことやれたんですがね、肝心の棘人の方はうまくいかなかったようで…あんなに栄えていた国はやがて崩壊。生き残った者も居場所が無くなり、治めていた領地内にある小さな村に助けを求めて移住してきたって訳です」
『なるほど。その村がここと言うわけか』
?「はい。そしてこの村の主人は優しいお方ですから、国が滅んで行き場を失ったヒトも棘人も、全員受け入れたんです」
『そういうことか。流石、商売上手な上に、話もうまいもんだね!』
?「へへへ、お褒め頂き光栄です。まぁ、昔みたいに手を取り合って…ってまでにはいきませんがね」
『仕方ないさ、才の国は主人の報復で酷い目にあったヒトも少なくない。仕事を奪われ、土地を荒らされ…だったらしいからな。棘人も良い奴ばかりだが、被害に遭ったヒトからすればそんな簡単にはいかないさ』
?「えぇ、でもこの村の主人がうまいこと説得してくれましたし、奥方のお力添えもあって何とか一緒に生活できるようにしてくれているって訳です」
『そうか…この村の主人は見た目に反して随分な大恋愛をしてきたんだねぇ』
?「あんまり大きな声で言わんで下さいね。あぁ見えて恥ずかしがり屋なんでさぁ」
『なんだい、随分と知ったような言いっぷりじゃないか?』
?「昔、色々ありましてね」
『ありがとう、面白い話だったよ。また聞かせてくれ』
?「へい、お待ちしております。毎度~♪」
商人らしき男は、話を聞いていた男から幾らかのお金を受け取り、満足そうな顔をしています。
商「おぅおぅ、師匠の命懸けの駆け落ちを金儲けの道具に使うたぁ、酷ぇ弟子がいたもんだなぁ?おい」
弟「痛たたた!もう師匠痛ぇですよ、ちったぁ加減してください」
姫「お前さん、その辺にしといておやり。お弟子さんがいなかったら私たち一緒になれなかったんだよ?」
弟「そうですよ!私だって命懸けだったんですから!」
商「まぁ、お前がそう言うなら…」
弟「相変わらず奥方の言うことには弱いんですね」
商「そういえば、むかーし殴られた恨み。まだ晴らしてなかった気がするなぁ?」
弟「元はと言えば、師匠がさっさと姫に好きって言ってりゃ殴らなくて済んだ話ですがね」
姫「そうさ、もっと言ってやって頂戴。私はずっと待ってたのに…」
商「おいおい、今度は私かい?」
弟「駆け落ちの日。月なんか出てないのに、月を一緒に見ようなんて告白したらしいじゃないですか」
商「な!?ちょ、コイツに言ったのかい?」
姫「はて、アタシには何のことだか?」
弟子があの夜の告白の事を知っているのは、惚気た姫が口を滑らせたせいでしょうか?それとも…
商「ゴホン!気を取り直して…今日はオジィ殿の命日だ。早く行かないと化けて出られるからな」
姫「あの時、わざと見張りを解いたのも、門の役人から守ってくれたのもオジィでしたものね」
商「あぁ、オジィ殿がいなかったら今の幸せはないよ。しっかり墓参りしないとな」
商人と姫は、幸せに暮らしていました。
あの夜の出来事から少しして、二人は結婚。
駆け落ちの日を婚約の日に定め、毎年の婚約記念日に儀式をしていました。
自らの命を懸け、商人へ生涯を捧げる姫。
その覚悟に応え、持っていた小刀で姫の髪と体の棘を切り落とした商人。
その行為はやがて村全体に浸透していき、才の村ではヒトと棘人の婚約には欠かせない儀式になっていきます。その儀式は後に【棘刀式(シトウシキ)】と名付けられ、種族を越えた愛の証として長きに渡り語り継がれてゆくことになります。
二人の駆け落ちの夜をイメージして作られた棘刀式は、切り落とす棘は最小限に止め、髪は切り落とさない形で残されたのでした。
式の衣装は商人役(新郎)を”男役”と呼び、浅葱色の着物を身にまとい、
姫役(新婦)は”女役”と呼ばれ、真っ赤な着物を身にまとう様になりました。
衣装の由来は、駆け落ちの夜に商人が羽織っていた浅葱色の着物。
そして、姫が商人にかけてもらった浅葱色の着物が血で真っ赤に染まっていた事が由来になっています。
姫の血で真っ赤に染まった着物は、二人にとって命を懸けた愛の証として残したかったという姫の強い想いが込められていると伝えられています。
めでたしめでたし。
XXXX年XX月XX日 追記
当時、棘刀式を遠目から恨めしそうに見ていた一部の棘人がいたという。
XXXX年XX月XX日 追記
商人の弟子は姫と商人を救った功績が称えられ、何不自由ない生活が与えられた。更には才の村から取って才乃(サイノ)姓を名乗る事を許された。
しかし、本人が恐れ多いと拒否。才の国の西に位置する村という事もあり、西野(ニシノ)姓を名乗る事を進言、村の主人は渋々承諾したという。