「オタクだけの私」じゃ、恥ずかしいぢゃん?

自分の好きなアイドルが新曲を出して、毎日新しいコンテンツが出て、

それらに心を躍らせる非常に楽しい毎日を送っています。

アイドルって素晴らしいよね。何も無い私に夢を見せてくれるんだもの。

ところで、私の好きなアイドルは今回ちょっと本格的に売れ始めてきたみたいです。

ずっと前から切に夢みてきた事ですが、実際にそれが実現されていく様を追っていると、本当にめくるめくドラマのようで、

ちょっと非現実だなぁ、という感じがします。

想像をはるかに超える売上、駆け上がっていくチャート、

どれをとっても周りに同士がほぼ見当たらず、1人でオタクをしてきた私には

見渡したらアラ、世の中にはこんなに同じ熱量を持って、推したちを愛してる人達がいるんだ!と感動するものです。

ふと見れば、アイドルたちは絶えず私の持つ四角い箱の中で、ずっと優美で煌びやかな世界を作り出しています。

私はその世界に魅了されて、食い入るように見つめるしかなく。

一日中、騒ごうと今日は俺の誕生日だと、攻撃的で鮮烈な歌詞に呑まれるまま、

私は秒単位で更新されるTwitterをスクロールし続けることになります。

そこでやっと気づくのです。

絵画や映画のように現実離れした世界観で踊り続けるアイドル達を取り囲むファンたちとその全てを包括する出来事たち。

彼らは、現実の世界に向けて、音楽や作品を発信しています。

現実に生き、今も生活を続けているファンに、全ての自分たちの音楽を聞いている人に発信しています。

だから、1位をとったり、栄光に輝くと私たちに感謝を述べてくれます。

私たちはそれを祝福は出来ます。

しかし、それは私たちの出来事ではない。

あくまで彼らの出来事です。

私たちと彼らが生きている世界で起きたことで、出来事を共有することは出来ても、

私たちの経験にはなり得ない。

そこを履き違えると取り憑かれてしまいます。

アイドルは私の目に見える存在であり、崇拝の対象であっても、絶対に交わることのない存在なのです。

彼らは、生業として非現実的で劇的なアイドルを演じます。

自分の人生の舞台がステージという人達です。

私は、そうではありません。

私はステージの下の観衆です。

ステージが終わったら、自分の住む町に帰ります。

ある時は、街頭ビジョンで彼らの映像が流れるのを見て足を止める雑踏の中の一人かもしれません。

とにかく、私は彼らと同じステージまで上がって、視線を交わらせることはありません。

だから、自分の生活を続けていかなければいけません。

自分には自分の人生のステージがあります。

アイドルがいくら、一日中と歌っても、私がアイドルを一日中追うことはできません。

アイドルのために生きることも出来ません。

自分のために生きて、自分のために努力して、その人生を応援してくれる存在がアイドルなんだとも思っています。

私が時たま彼らを思いながら学校へ通う時、仕事をする時、彼らもまた同じ時間を過ごしている。

そして、その時間の積み重ねの全てが3分と少しくらいのステージに詰まっている。

ファンの前で見せる笑顔の裏には壮絶な努力や葛藤のストーリーがあるだろうということは想像だに難しくありません。

だから、私は頑張らなければいけない時、イヤホンをつけて彼らの曲を聞くと、

どんな曲でも、その頼もしい勇気で、行け!と言ってくれるように聞こえるのです。

私も、1人の人間として、ファンとして、1人で立ってみせる、彼らに寄生してしまう存在にならないように、と思います。

明日も、彼らの生きるこの世界で自分も人生の次の瞬間を描いていくために。

彼らもこの世界で同じ時間を生きているということを誇りに思えるように。




でも、今日はやっぱり少し泣きたいです。本当におめでとう。ありがとう。








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