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「がんがら橋」
鹿児島市南林寺町にこんなバス停がある。
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古くなった先端部分が斜めに傾き、無造作な「がんがら橋」の手書き文字。
その様子が、首をかしげた案山子(かかし)みたいに見えた。
がんがら橋通りという道路もあり、それが商店街の名前にもなっていることからも、古くから人々に親しまれてきたことが偲ばれる。
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「がんがら橋」このユーモラスな名前の橋のことを知りたくなった。
平成8年までは、バス停の付近を流れる清滝川にそういう名前の橋が掛かっていたのだが、暗渠となり橋としての役目を終えた。現在は、噴水広場となり親柱4本が残され、橋についての案内板が立っている。
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清滝川のここに“がんがら橋” がありました。
この橋の名称の由来にはいくつかの説がありますが、その一つに次のような物語があります。
藩政時代、このあたりに広い土地をもっていた唐(今の中華人民共和国)の帰化人、沈一貫が住んでいました。この橋のかかっているところも沈氏の領内で、沈一貫の「貫」と唐国の「唐」をとって、貫唐端(カンガラバシ)と呼んでいたのが、いつの間にか丸瓦羅橋(ガンガラバシ)になったということです。
沈一貫氏は、戦乱の唐をのがれて薩摩に来た人で、島津氏の海外貿易にも関係し、また医者として活躍したので、山之口町あたりに土地を与えられたということです。
平成8年に橋としての役目を終えるまで、がんがら橋は時代の流れとともにその姿を変えながら住民の生活を見守ってきました。
ここに残った親柱4つは、大正14年9月に架け換えられたときのもので、その年月と橋名(丸瓦羅橋・ぐわんぐわらばし)がしっかりと刻まれております。
平成10年3月 鹿児島市
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どんな姿の橋だったのか知りたくなり、どこかに写真はないかと、ネット上をあちこちと探したのだが、見付からなかった。