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モヤりごと。
仕事の帰り。
スーパーでたくさん買い物をしたら、買い物袋が2つになって、両手にひとつずつ下げて家に向かった。
髪の毛を左右に揺するほどの風が継続的に吹いていて、これくらいの気候がずっと続けばいいのにな、と思った。
10月に入ったし、気温もにおいも音も全部が秋に感じられた。
何か考え事をしていると、周りの音がよく聞こえてきたりする。バスが通ったり、子どもが笑ったり、自転車が通り抜けたり。
このまま誰もいない家に吸い込まれていくのが、さびしいなと思った。
この頃、友人のことばかり考える。彼が亡くなり、27日で1年を迎える。
わたしはこの1年、この悲しさと、きちんと対峙してこれたのだろうか…
思い出のうえを歩くのは、いつも心の整理のためだけど、その思い出バナシを周りへ押し付けていないだろうか…
つい最近、ものすごく怒りを覚えたことがあったけれど、それでもどうにかこうにか、相手も生きているんだなって思えば、怒りも去った。
全体的に、彼のことに比べればそれ以上つらいことなどないのかもしれない、と考えてしまう。それって良いことなのか、悪いことなのか?
小さな悩みに悩むことは贅沢かもしれないし、その悩みで爆発してしまう人を支えられない気持ちをうまく表したい。
短大を卒業するとき、ライブ中にわたしは人にやさしくできなかったと告白したことを思い出した。
そんな感覚すら忘れていたほど、やさしい”かんじ”を出すことが上手になってしまったのかもしれないと思った。
一人ひとりに、君は贅沢だ、君は贅沢でない、君はもっと頑張れ、君はもう無理するな…って言いたい。でもそんなことは驕っているから、実行しない。
何かを書くとき、いつも友人のことを引き合いに考えしまう。わたしは友人を隣に並べることで、何を伝えたいんだろう?
大事だと思う人と、ずっと長く居たい。それで、自分を正しく保てるようにいたい。
衰えていくことが目で分かる。美しくしようとするも、もう遅いのかも?と、思うあたりがもう遅い。
もし自分がバンドをやっていなかったら、普通のOLだったら…みたいなことをまったく考えなくなった。
ベランダに出ると、目の前に何本も金木犀の木がある。でも、1年前にうちにきた金木犀の鉢は、すべて葉を落とし花が咲いていない。
多肉植物の破片をプランターに植えた。しばらくすると、全然関係のない、オジギソウの芽も出てきた。
今、わたしはきっと、贅沢な生き方をしているに違いない。物理的にではなく精神的に。
そう思うと、心のモヤが、
3cmくらい右に動いた。
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