少しセンシティブな話をする(生きることと、そうじゃないこと)
どうも。久保です。ヘッダーは先日やったヤケクソお花見ソロ。
タイトル通りの内容なので、気をつけてください。
もうちょっと正確な表現をするなら「人の死」に対して触れるので、そういった事柄が苦手な方にはお勧めできないです。
友人(以下「A」)が死んだ。らしい。
こんな言い回しになってしまうのは、共通の友人からその知らせを聞いたからだ。
いろいろ内心穏やかではないが、病気で亡くなったそうだ。とりあえず、自分で自分の時計を止めたわけではないことを知ってホッとした。
Aのことをぼんやりと思い出す。かれこれ2年以上会っていなかったけど、どんな顔つきの人だったのかは思い出せた。
どんなこと話したかなあ…と、記憶のチェストをひっくり返す。いかんせん最後にあったのが4年以上前。具体的な話題は、どこにも残ってなかった。
ただ、僕の人生の中で本当にしょうもないけど印象に残っているエピソードだけは、まだあった。
あれは二次創作字書きのオフ会だったと思う。Aが集合時間になってもなかなか指定の場所に来ないというアクシデントがあった。
他の集まった人たちと「寝坊ですかね」とか「事故じゃないといいよね〜」とぼそぼそ喋る中、連絡を受け取ったらしい一人がなんともいえない顔をしていた。
「職質で捕まってたから遅れるんだってさ」
周囲からは「なんだそんなことか」みたいな笑い声が跳ねる中、なんとなく、ぼんやり一つのことを僕は思い浮かべた。
職質で遅刻、なんかすげえロックで創作者とかクリエイターっぽい〜!
「そうか?」と、思う人もいるだろう。しかし当時の僕は、なぜか職質に訳のわからない憧れを抱くようになった事は確かだ。(ちなみに僕も2年くらい前に初職質を受けたけど、めちゃくちゃ前向きに協力したら1分くらいで解放されてしまった)
思い出しておきながら、なんともいえない顔になる。一番に覚えているのが職質かよ。
どんなエピソードであれ、Aがまだ僕の中で生きていることを確信し、胸を撫で下ろす。
ただ、実際に通夜に出たわけでもなく葬式に参列したわけでもないので、「ホントに??」という気持ちが抜けないでもない。悲しいけど、事実に対して認識が追いついていない感じがある。
清く正しく生きていても、人は急に死ぬ。
少し前に、付き合いの長い友人が相手の過失100の自動車に轢かれた。無事今では後遺症事もないままに快復しているけど、ある日いきなり理不尽が降りかかる可能性だって大いにある。
僕の身に何かあった時、みんなは僕を思い出してくれるだろうか。
そう考えたら、ちょっと背筋が凍った。「あんなこと話したなあ」とか思い出してもらえるよう、面白おかしく生きていきたいものだ。
以上。アホみたいな暑さに気をつけるんだぞ。