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【手紙小説】元カノへ

拝啓

 朝夕はめっきり冷え込むようになりました。お体の調子はいかがですか。
 なんて、こんなふうにかしこまった文章をあなたに出すことは初めてですね。

 さて、あなたが私の恋人でもなく、友人ですらなくなってから一年と少しが経ちました。この一年私は色々と変わったので、報告がてらこうして筆を取った次第です。別に読まずに、捨ててもらっても構いません。私の自己満足です。

 東京に引っ越ししました。電車が3分に一本という頻度に、未だに感動を覚える日々です。かつてのあの町みたいに、一本逃したら15分という微妙に暇を潰しにくい時間を持て余すこともなくなりました。

 引越しに伴って、転職しました。二回。お役所からブラック企業へ。さらにそこからもう一回。やってるいことは役所時代と大差なく、ほぼ全部が机で完結します。テレワークで出社すらないせいか少し太った気がしますし、何かにつけて「痩せた方がいいのか」と尋ねてきたあなたに首肯で即答できない私になってきました。太ることはすぐなくせに、痩せるって大変なんですね。

 服装の趣味が、少し落ち着いた気がします。
 あなたが「ただうるさいだけの柄」とコメントしたけどブランドがTOMMY HILFIGERだと知った瞬間「カラフルでまとまりのない中でもほのかな品がある」なんて評価を半円分裏返したあのシャツは、まだ私のクロゼットにあります。その服も、最近ではクロゼットの賑やかしになっていますがね。
 まだまだ完全に無地の生活には当分ならないけど、ずいぶん服は小ざっぱりしてきました。学生時代着ていた服もほとんど断捨離しましたし、派手な柄より落ち着いた服を店で手に取るようになった気がします。まさかこうなるなんて、自分で思いもしませんでした。
 シルバーアクセも、いつの間にか店に寄る事すらなくなりました。たまに横目に覗くけど、そのくらい。

 絵を描き始めました。まだまだ全然うまくはないのですが、少しずつまともになりつつある実感だけはあります。やっぱり積み重ねは偉大ですね。とりあえず三日坊主は回避しましたが、これからどうなるのかは私でもわかりません。自分の中を形にするのは、どんな媒体でも難しいのですね。

 音楽の趣味も変わりました。
 最近はもっぱら邦ロックの「女々しい」と言われがちな歌詞をよく聞いて歌っています。
 あなたが好きだったアイドルのあの曲の踊り、今ではもうすっかり忘れてしまいました。カラオケに行けば毎回やっていたあの、何十回もやったダンスを。じわじわと、脳と体の衰えを実感します。

 煙草もそこそこ吸うようになってしまいました。尤も、毎日吸っているわけではありませんが仕事の合間や昼休みの終わり際に、なんとなく煙を浮かべています。あなたが最後に見た私より、今の私は不健康になっていると思います。恋人でもないただの他人になったので、このことはどうか咎めないでください。

 あとこれは一番大きな変化かもしれませんが、即売会で壁サーになる夢。
 あれ、諦めました。あなたは驚くかもしれませんね。
 取り返しのつかないところまで行ったくせに、割とすんなり諦めることができました。誰に急かされるでもなく時々小説を書いて、たまに出すくらいの隠居生活が実はそこそこ気に入っています。上を目指して鼻息を荒くさせていた私を知るあなたとしては、すっかり角の削れた私を見たらびっくりするかもしれませんね。

 私は今、あなたの知らない人間になりつつあります。
 そっちの調子はどうでしょう。私の知らない、あなたになっているでしょうか。

 変わったことは多々あれど、私はまだ幼いなと思うこともしばしばです。思えば大人のふりをして振る舞っていた、子供だったんだと思います。今もですが。
 とある曲みたいにブラジャーのホックを外した時だけ心の中までわかった気がしていましたし、私鉄ウン駅分も0、01ミリの距離もわかっていませんでした。そうした小さい隔たりを超えることができなかったこそ、彼我の想いを慮れなかった私の今なのでしょう。

 私はもう少し、色々と変わっていこうと思います。あなたがかつて愛した私は、もうこの地球のどこにもいません。
 あなたも、街のどこかでいつか私とすれ違っても、気がつかないくらいに変わっていることでしょう。どうか、変わっていてください。

 お幸せになんて私が言えた立場ではありません。なので、いつもの挨拶で筆を置きたいと思います。

 じゃ。

敬具

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僕と久保
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