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【出産レポ】予定日超えで促進剤・無痛麻酔を経て、4,000gの男児を5時間で出産した体験談
はじめに
この記事を読まれている方はこれから出産を控えている妊婦さんが多いのではないでしょうか。かくいう私も臨月に入ってから毎日のように前駆陣痛に襲われ、出産がいつ来るのかドキドキしながら、少しでも不安・恐怖を抑えるために色々な方の出産レポを夜な夜な読み漁っていました。
実際に出産をしてみて、本当に人それぞれと身をもって実感しました。
結果的に5時間と超スピード出産となりましたが、出産時間を短縮するための秘訣とかは一切なく、促進剤や無痛麻酔を使った出産はどんな感じなのか、そんなパターンもあるんだ程度に読んでいただけると幸いです。
また、私の分娩をフェーズ0(Ph0)からLastフェーズ(Last Ph)まで、5ステップに分けてみました。ただし、医学的に言われている前駆期・分娩第一期・分娩第二期とは全く関係なく、私にとっての感覚的な区切りというだったということはご了承ください。
ちなみに、たまごくらぶ等で陣痛から出産の流れを予習していましたが、陣痛具合によって処置が変わり教科書通りにはならない、そして目の前の痛みに耐えることに必死で今どの段階か?次どうなるんだっけ?と予習した内容を思い出す余裕は一切なかったです・・・
Ph0:自宅にて病院への電話を決心
38週頃から時折、生理痛のような痛みやお腹の張りが数分から数十分おきにくるようになっていた。臨月の健診でも子宮口が1~2センチ開いている、来週の健診前に出産くるかもねと言われており、毎日今日がその日か!?とドキドキしていた。
さらに、約10分間隔の痛みが1時間続いて、次同じ間隔で来たら病院に電話しようと決心した途端に痛みがなくなることもあり、どれくらいの頻度・痛みで病院に電話すべきなのか自問自答を繰り返す日々を過ごしていた。
そして、予定日を過ぎて次の日にさしかかった夜中0時半頃、いつものようにお腹が痛み出した。その後、5~8分おきと非定期ながらも全ての回の間隔が10分を切り、お腹の痛みが発生してから1時間以上経った夜中2時半頃に意を決して病院に電話。
陣痛か自信がなく、もう少し自宅待機してくださいと言われたり、実際に病院行ったけど帰らされたりしたらどうしようという不安を抱えながら、電話越しに状況を説明。
すると、病院の方が優しく聞いてくださり、入院準備をして病院向かってくださいと快諾。ここで少し一安心。
前もって準備していた陣痛バッグの中身の最終確認をし、こちらも事前登録していた陣痛タクシーを配車。最後に夫を起こして、病院に言ってくるねと伝えた。私の産院はパートナーの立ち合いが出産前約15分からと限られていたため、一人で病院に向かった。
陣痛を軽減するマッサージなどを夫にしてもらおうと夫にもたまごくらぶを熟読してもらったが、家にいる時は全然余裕だったので一切やってもらうことなく病院に向かうことに。
Ph1:病院到着から促進剤を打つまで
AM 3:00~4:00
いざ病院に着いたら、まずは問診。
いつも使っているものより遥かにサイズが大きい産褥用のナプキンとパンツを渡され、どう履けばいいのか戸惑いながら装着。それから、NST*と助産師さんに子宮口の開き具合を見てもらう。
*NST:ノンストレステスト。お腹に聴診器のようなものを一定期間付け、胎児の心拍数や子宮収縮を調べることができる
子宮口は3センチ開いていて今は前駆陣痛だねと一言。
「前駆陣痛と本陣痛の違いが分からなくて、電話するか悩んだんです・・・」と弱腰な発言をしたところ、「いいんですよ、何かあってからじゃ遅いんですから電話してもらってよかったんです。予定日も過ぎてますし、もう入院しましょう」と明るく言ってもらい、家で不安になっていた分気持ちが少しほぐれた。
4:00~8:00
陣痛室(私の産院は普通のベッドルームのような所)に移り、まずは寝ることに。その間もお腹の痛みは時折来ているのと、陣痛室のベッドが固くて全く寝れなかった・・・。
そして明け方頃、おそらく夜勤明け前の助産師さんが最後に見に来てくれて、「子宮口の開きは進んでないね。子宮口開かせるにはもっと強い陣痛じゃないとね」と一言。
間隔は2~5分ほどになり痛みもまぁまぁあって、これは進んでいるんじゃないかと期待していた分、やや心が折れた。
朝ご飯の時間になり栄養補給しておかなきゃと思い完食。それを見た助産師さんから、「本陣痛きてたらご飯なんて食べられないよ~」と言われ、これから更に辛くなるのかとさらに心が折れる。
8:00
医師の内診で子宮口の開きが進んでいないとわかり、促進剤を入れることに。点滴のための注射針が打たれ、色々と点滴バッグが用意され始めた。
10:00
助産師さんに「促進剤入れますね」と言われ、まだ入れてなかったのかと驚き。この間も定期的なお腹の痛みはあったので、自分が何をされているのか等把握する余裕はあまりなかったのだと思う。そして、ついに促進剤を注入!
Ph2:陣痛が加速&いざ分娩台へ
※ここから、今何時か、何をされているのか等を把握する余裕が一切なくなり、記憶も朧げに・・・
11:00頃
徐々に痛みが強くなるものの、子宮口はまだ4cmとのこと。促進剤を入れてこんなに痛くて1cmしか進んでないことに絶望。
その後
痛みの間隔が1分くらい、痛みのピークが30秒ほどに。
痛すぎて、あーーって叫ぶかのような声を出してたら、助産師さんに「フーっと声を出さないと疲れちゃうよ」と言われ、意識朦朧ながらに意識してみる。が、フーっと息を吐くことすら中々難しいほどの、下腹部が握りつぶされてるかのような痛み。腰も痛い。
ピーク時の痛みもさることながら、その激痛が1分ほどにやってくることもかなり辛かった。ピークが過ぎた瞬間に脱力そしてほぼ気絶し、すぐ戻ってくる痛みに叩き起こされて頑張って息を吐く、の繰り返し。いつまで続くの、もう辞めたい、と心から思う。
お昼ご飯が出てきたが勿論食べれる訳もなく、体力をなくさないようにとカットされたパイナップル1個をどうにか食べる。
振り返ると、いきなり痛みが増し、且ついつまで続くかわからないというこのパートが一番辛かったと思う。
何度か助産師さんが様子を見に来てくれて、「促進剤の効きがいいですよ」と言われるも、痛みが急激に増しててそれはいいことなのか!?今の私にとっては何も嬉しくない!!と心の中でツッコむ。
14:00頃
動ける内に動きましょうと分娩室に移動することに。今も十分動けないですけど!?とまた心の中でツッコむ。
分娩室には2台の分娩台があり、ちょうど隣にも妊婦さんがいて同じように悶絶していた。一緒に頑張りましょうと勝手に仲間意識を芽生えさせつつ、自分で精一杯な中で他の人の辛い声を聞くのだけでもしんどかった。
また、時折助産師さんが腰をさすってくれるものの、分娩の準備でどこかに行ってしまい、とてもとても心細かった。こういう時に夫がいてくれるといいのかと痛感。陣痛に苦しむ中、一人で思わず「助けて」と空に呟いたことがいまだに記憶に残っている。
Ph3:待ちに待った麻酔注入!楽になるかと思いきや・・・
14:45頃
痛みに苦しむ私を見かねて、助産師さんが子宮口を開く薬を入れてくれたり、麻酔注入を早めるよう指示しているのを意識が曖昧になりながら聞いていた。
そして、子宮口の開きが十分になったとのことで、ようやく無痛麻酔を入れることに!!待ちに待ったこの瞬間!
麻酔注入してから数分で痛みが全くなくなってしまい、「痛みなくなりましたー!」と笑いながらお医者さんと助産師さんに話かけることができた。
痛みどころか足全体の感覚がなくなり、手で太もも当たりをつねってみても何も感じなかった。
ここで夫に無痛麻酔入れたことを連絡。LINEのやり取りからも無痛麻酔を入れる前と後の雲泥の差を感じとれる(笑)
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そして、麻酔は2時間半効く分を入れたからと言われ、分娩までもう少し時間かかるのかと思っていた矢先、子宮口を開く薬の効きが良かったのか、子宮口が8センチになり、急いで夫を病院に呼ぶ。
15:00頃
天国の時間も束の間、麻酔の副作用なのか気持ち悪さや寒さを感じるように。かなり昔、膝の整形手術にて下半身麻酔を打った際も同じようになったので、またかと意外と冷静。
しかし、震えが止まらないほど寒くなり、呼吸も絶え絶えに。「赤ちゃんが苦しいサインが出ているから呼吸を止めないでね」と言われ、どうにかこうにか意識を飛ばさないよう耐え、頑張って呼吸をし続けて、それはそれは辛かった。
もう分娩できる段階にはきているようだったが、先生なのか、立ち合いを予定している夫の到着なのか何かを待っているような雰囲気になっており、何でもいいから早く産ませてくれーーと切望した。
Last Ph:無事出産!!!
15:20頃
ようやく夫が分娩室に入ってくるのを感じ取る。
後日夫と出産シーンを振り返ったら、到着した時は私が会話もできないような状態で自分が来たことを私は気付いていないだろうと思っていたそう。
また、分娩室には先生や助産師数名がいて騒然としていて、やばいと感じとったようだが、当の本人である私は意識を保つのに必死すぎて、へぇそうだったんだと感じ方に大きなギャップがあった。
15:28
分娩体制に入ったようで、背中丸めて息止めて!いきんで!と言われるものの、息を止める力すらなく途中で息が漏れてしまうし、下半身の感覚が皆無のためどうやっていきめばいいの?となってしまい、やる振りだけで勘弁してと思っていた(笑)
夫に体を支えられ、3回ほどいきんでと言われて気付いたら産まれていた。
夫からの後日談で、助産師さんがお腹の上に乗っかって押し、先生がトイレのすっぽんのようなもので吸引していたらしい。当の本人は意識を保つのに必死でそんなことも露知らず、がっつり効いた麻酔のせいで赤ちゃんが出た感覚も皆無だった。
また出産よりも体の震えが気持ち悪すぎて、産まれましたよ!と声が聞こえた時にはもう耐えなくていいんだという安心感が強かった。放心状態であまり記憶がなく、産声を聞いた記憶は朧げだが、取り出された赤ちゃんを少し触ることができて温かったことだけは覚えている。
17:00頃
きれいになった我が子に夫と一緒に対面。まだ子供が産まれた!母になった!という実感はなかった。
その後〜21:00
出血が多かったようで血が止まるまで、分娩台の上で待機することに。眠いのに5分ごとに目が覚めてなかなか休めず、夜ご飯もキウイ半個しか食べられなかった。気付けば分娩室の電気が消え、担当の助産師さんが変わり(夜勤の人に交代していたのだろう)、いつまでこの固い分娩台の上にいなければいけないんだと辛い時間を過ごした。
※後日、赤ちゃんが4,062gと巨大児だったのと予定日超過していたからか胎盤が少し剝がれていたことで、1.3Lほどの出血だったことを知り、分娩から約6時間止血にかかったことに納得。
21:00〜朝
ようやく分娩台から降りれることに。夜遅いのとまだ出血する可能性があるので、ナースステーションが近い陣痛室で一晩を過ごすことになった。ようやく普通のベッドに横になれたものの、全く眠れなかったが、長いトツキトオカそして出産を無事終えることができた。
まとめ
自分が満足するまで出産の準備や情報収集をしておくのがよい!が、腹を括ることも同じくらい大事
どんな出産になるかはその時になってみないとわからない。いくら準備や情報収集をしても生かせるかわからない。一定の事前準備ができたら後は、なるようになる!と腹を括ることも大事。不安・恐怖に飲み込まれるとメンタルがドン底に落ちてしまう・・・(経験談)。
事前準備の一環として、出産レポを読んだり周りの出産経験者に話を聞いておくことはとても有効。あと、「後期のたまごくらぶ」も体系的にまとまっていて大変参考になった(ネットは膨大な情報が断片的になっており、調べるのに労力がとてもかかるし、要らぬ不安が増長される)。
出産後に読み返しても、あの時のあれはこういうことだったんだと学びがあるのも面白い。
促進剤がかなりキツかった
促進剤が効かずに出産が次の日までかかったという人もいるので、人によって異なることは大前提。
しかし、出産当時は陣痛はこんなものと思っていたものの、後日他の方の出産談を聞くと、私の場合は短時間で痛みレベルが急激に上がったのだと認識。できることならば促進剤を打たずに自然に陣痛が来てほしかった。
無痛麻酔の効きがかなり良かったためか、4,000gの巨大児を産んだ感覚が一切無く、少し寂しい気持ちがある
色々な人に4,000gの赤ちゃんのお産が大変だったよねと言われるものの、促進剤による急な陣痛や無痛麻酔の副作用がはるかに辛く、赤ちゃんが大きかったことによる苦しみについては何もなかった。正直、自分は本当にこの子を産んだのか、と若干の寂しさ・自信の無さが心に残るお産となった。
※そもそも無痛分娩の麻酔はいくつか種類があり、私の場合は”脊髄くも膜下麻酔(脊椎麻酔、腰椎麻酔、下半身麻酔)"で効果発現が強いタイプだったため、痛みを感じなかったのだろう。
※他には、背骨の間から針を刺し、硬膜外腔という空間に細い管(カテーテル)を留置して麻酔薬を注入する"硬膜外麻酔"という方法があり、こちらを採用している病院が多い印象
羞恥心がなくなり、「母強し」の一歩目を踏み出す
妊婦検診の内診は毎回腹を括って挑んでいたが、出産中は幾度となく内診されるので、羞恥心や躊躇いなどなくなりどうぞ見てくださいって気持ちになる。
産後の授乳指導では、母乳を出しやすくするために他のお母さんもいる中で毎回乳丸出しにして乳首をつねられるので、本当に恥じらいとか無くなる。こうやって母は強くなっていくのかとしみじみした(笑)。