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自己流自己分析をしてみた①

こんにちは。現在無職の33歳です。
無職自体が初体験ですが、何者でもない自分をほんの少し楽しんでいる部分もあります。金銭面は非常にきついですが…笑
個人的に思いをぶつけたい日々が続いており、投稿率が上がっています。
今日は自分なりに自己分析について考えてみました。
書こうとしたら結構ボリュームがすごいので、少しずつ書いていこうと思います。
(明日面接の企業2社あるけど…私は準備しすぎると案外失敗するので程々にしておきます笑)


幼少期振り返ってみた

兄妹関係

3兄妹で兄(5学年上)・兄(3学年上)・自分という兄妹構成で育ちました。
家族は両親、祖父母、後は生まれた時から愛犬がいました。
まずこの構成、「蝶よ、花よ」という扱いで育てられて姫扱いされると思う人多いと思いますが、私は全く違います(笑)
長兄がなかなかのジャイアンタイプで、結構殴る・蹴るのケンカはしょっちゅうだったので、どちらかというと気が強くて末っ子長女というよりは三男の様に育ったと思います。今でも女性扱いされるのが少し苦手なのはここから来てると思います。
兄妹間での物の取り合いというより、長兄に次兄や私のものが奪われない様に必死に生きてきた感じでした。自我を強く持つことはここから学んだと思います。
次兄は同じ男子ということもありもっといじめられていたので、若干私が守っていた部分もあったかな?という部分もあります。
次兄とは普通に仲の良い兄妹関係を築いていました。
また、私自身も次兄の影響で少年漫画とかアニメを好きになった気がするので、ここからの影響もあるのかなと思っています。
テレビを見ることが好きになったのはここからかな?
反対に、長兄の事は次兄と共に未だに少しだけ苦手意識があります。
一時期、長兄が大学時代に離れていた時は多少関係改善しましたが、実家で両親と仕事の事で言い合いしている時に怒鳴っている姿も見ているので、正直呆れているに近いかな…
ここから急に発される大声が苦手になっている気がします。普通にびっくりして心臓止まりそうな感覚になります(笑)

両親との関係

両親からはとても可愛がられていたと思います。待望の女子だったので。
遠慮なくなんでも言ってしまうあたりは末っ子身分の良いところでした。
兄たちの失敗を見て上手く立ち回っていたので、要領は良かったと思います。
ただし、両親も昭和人間なので、礼儀作法やらには厳しくて、特に父からは箸の持ち方や食事作法はかなり厳しく躾けられました。
その甲斐?もあり、私の利き手は左利き寄りのクロスドミナンスなのですが、箸に関しては右を使ってます。(クロスドミナンスについてはリンク先参照)
やはり右利きの人が多いので食事の時は非常に役に立つなと思ってます。
当時はとても嫌でしたが、ある程度大きくなってからは食べ方が綺麗とか箸の持ち方綺麗と言ってもらえる事もあったので今では感謝してます。
礼儀・作法の大切さはここで多少学んだ様な気がします。
ただし、それ以外の利き手を無理やり変えようということはさせる人たちではなかったです。親戚(祖父の弟)が来た際に、祖父と一緒になって何故か文字を書くときの利き手を右手にさせようと無理やり矯正されそうになり泣いて反抗した事があるのですが、その時は父が守ってくれました。
あと、歯磨きの大切さも同じくらい学びました。当時はうるさいくらい言われていたけど、大人になって少し歯磨きサボっても虫歯ほとんど出来ないくらい強い歯だし、口腔内の健康のためにも半年に1回は歯科医院に通っています。
これも両親の影響なのでとても感謝しています。

同居していた祖父母との関係

私は生まれた時から父方の祖父母と同居してました。
当時は同居はしているものの、幼少期はあまり可愛がられたという経験はないです。
祖父母からすると娘の子どもの方が可愛いと良く聞きますが、父には妹さんがいて(私の叔母)その子どもである従兄弟たちの方が可愛がられていたのかなと感じてました。外孫だからっていうのもあるのかもですが。
まだ幼少期に、母が出かける用事があり私を任せて帰ってきたら、私が薬のチューブを咥えていたらしく、どうしてか祖父母に聞いてみたら「言う事聞かないから放っておいた」と言う返答が来たらしいです…笑
それ以来、母もあまり信用してなくて、基本的に私の事は自分、もしくは別居の祖父母(母からしたら実の両親)に託していたくらいです。
この時の経験から、子どもだからって無条件に愛されるわけない、という卑屈な感情を持った気がします。簡単に言えば、自分を卑下する癖がついたということです。

親戚関係

同じ家に住んでいなかったので親戚とまとめます。
ちなみに、前述の別居の母方の祖父母からは大変可愛がられていました。
これぞまさに理想的な祖父母と孫の関係という感じでしたね。
こちらのお家には母の兄(私の伯父)一家がいて、我が家と兄妹構成が同じな3兄妹
の従兄妹がいたので、幼馴染みたいな感じで一緒に過ごすことが多かったです。
ただし、この従兄妹の末っ子の女の子は同い年なのですが、彼女の方が誕生日が早いことや母の兄妹構成的な要素もあり、ずっと妹という名の下っ端見たいな扱いを受けていたので大嫌いでした(笑)
子どもながらに同い年なのに上下関係なんてねーよ、ってバカにしていたけど、耐えればいいやと思って我慢していたと思います。ここから我慢癖ついたかも?
後は、祖父母の兄弟や、両親の従兄妹など親戚もたくさんいたので、とにかく良く関係性がわからない大人にたくさん会いました。
基本的に幼少期は自分が1番下の様な時期が長く続いたので、年下の扱いが割と苦手でした。

愛犬の存在

生まれていた時には既に飼われていた愛犬くんがいました。
シェルティの男の子で、私が生まれた時は4歳くらいで、物心ついた時にはシニア犬の子でした。
当時は番犬扱いでもあったので外飼いが当たり前だし、私たち兄妹も幼かったので、子ども優先になってしまっていたと思います。両親もこの時の子に対してはもっと構ってあげたかったという気持ちが強かった様です。
私もしょっちゅう吠えられることも多く少し怖い気持ちがありなかなか触れなかったですが、普通に可愛いと思っていたし家族として大好きでした。
私が保育園年長の時に虹の橋を渡ってしまった時はやはり悲しくて大泣きしました。やっぱり大好きな気持ちが強かったのかなと思います。
生まれてからずっと動物が近くにいる環境だった事が大きく影響から、動物が大好きという気持ちが芽生えました。

保育園時代

3歳から保育園に通っていました。性格は、外に出ると人見知りが激しくて、内向的、話すことはかなり苦手でした。でも、先生からは可愛がられるという謎に大人の気を引く能力は高かったみたいです。
当時の私はあまり深くは覚えていませんが、市が用意している「お話教室」みたいなものに通っていました。(あまり話さなかったので、母からすると軽度の障がいの可能性も考えていた様です…)
好きな事は絵を描くこと、本を読むこと、アニメを見ること、ぬいぐるみで遊ぶことという感じです。友達はギリギリいたけど、基本1人で過ごす方が好きでした。
多分ですが、なんだかんだ言っても末っ子なので家族から構われすぎて貴重な1人の時間がこの頃から大好きだったのかなと思います。
そんなこともあり、昔から空想したりすることも大好きでした。
「私がこうだったら…!」みたいな感じですね。ある意味子どもらしい子どもでした。
しかし、1人で過ごすの大好きな癖に折り紙とか細かい作業がかなり苦手でした。
手先が異常に不器用なんですよね…笑 今では鶴すら折れる自信ないくらいです。
あと、これは今思い返せばと言う感じですが、保育園という10歳にも満たない子どもの世界でも、上下関係みたいなものを作りたがる子がいて、この頃から1軍・2軍・3軍みたいな世界があった気がします。
人間も野生動物と一緒で優劣つけたがる生き物なのかな、と子どもながらに考えてました。そしてそういうカーストの様な優劣の付け方は基本嫌いでした。

幼少期を振り返ってみて

今思えば幼少期からいろいろ面倒くさい子どもなのかなと思いました。
・結構我は強いけど、あからさまに出しても誰にも理解されないよね…と言う諦めが当時からあった。
・周りに嫌われるのは嫌だと言う気持ちも強くて、自分を出しきれないと言うのは今でも癖になっている。
・家族の前では発言ができる内弁慶。家族なら嫌われても見捨てられないと言う謎の自信が子どもながらにあった。
・昔からクリエイティブ系なことは好きだけど特に才能はない。特に手先は異常に不器用。

気づけばネガティブ面の書き出しが多い気が…(笑)
そして幼少期の自分を見ると、MBTIで言う『INFP』の特徴にピッタリ当てはまっている気がします。(ちなみに無料診断の16PersonalitiesではINFPです。)
幼少期から根っこは変わっていない事がよくわかります。
人間ってある意味すごいな…
話はそれますが、MBTI診断はnoteでも話題にされている方が多くいらっしゃるので興味深く拝見しています。興味ある方はぜひMBTIで調べてみてください。

次回は学生時代をまとめてみようと思います。
ここはかなり時間かかりそうです…笑
その前に転職活動経過をまた書く方が早いかもしれませんが、また記事を通してお会いできたら幸いです。
ここまでかなり長い文章かつ、赤の他人の幼少期がつらつら書かれている内容をお読みいただきありがとうございました。

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