どろまみれになる宣言

今日は別にここに記さなくて良いことを記します。
一種の宣言かつ戻ってきたときにまた走り出せるために。

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私が19年生きてきたなかでの最後の夢は
音楽の中学校教諭
でした。

高校への進学を推薦で行くと決めた中学校3年のとき。
志望理由書に別に夢かけなんて書いてないのに、夢をかくもんなんだとどこかで察知した私は
中学校での紆余曲折の中に担任が寄り添い背中を押していてくれたことがきっかけで自分もそうなりたい!から中3までの人生を辿り、
音楽の先生にたどり着いたみたいです。

曖昧な記憶ではあるけれど、夢を語っていた自分はウキウキしていたし、それに向かって行ってる感覚も好きだった。

無事志望校に進学し、私は見たことない大人の姿を見ることとなる。
正直中学まで関わってきた自分の周りの大人って
銀行員・先生・ピアノの先生・テニスのコーチ
くらいだった。
学校に来た見知らぬ大人たちは、なんだかすごくて見たことない世界で、当時もうまく言葉にできていなかったが、そんな大人たちと話したときのワクワク感でなんでもできるんじゃないかって
思った。

そんな大人たちに出会いながら、自分の思い描く音楽の先生になるために留学に行くことを決めた。ということは相当その夢を大事に大切に思っていたのだろう。
資料作るの大変だよという先生の言葉を唯一無視した私が、留学に行く権限を勝ち取った。大変だとか倍率が高いだとか言われたけど、そんなこといってきた先生を見返せて、自分に勝った気がした。

夢を叶える一歩を踏み出せたと思って高2になった。
コロナで留学の見通しが立たなくなった。
やりたいと思っていたことがやらなきゃという認識に変わってやる気がなくなった。
音楽の先生になるための過程から外れた。
いつのまにか、何が自分の本当のやりたいなのか分からなくなった。

夢がなくなった。

夢がなくなったことを認めた瞬間の絶望
自分には何もない
みたいなものがずっと頭にいた。

進路の面談で大泣きした。
ほぼ毎日、布団にくるまりながら泣いて寝た。

夢がなくなってから、親に大学行かないといったりして
それでも経験のチャンスを与えてくれた親は色んな大学を調べてくれた。
普通に考えたら自分でやるべきことなのに。
調べてくれた大学の中でも萌生っぽいと思ったところを受験することにした。
それが今の大学。

大学生になって
高校の時のご縁がはじまりで、ZENKAIに出会って、HASSYADAIに出会って、カタリバに出会って、URAKATAに出会った。

でもこの巡り会いの中で、大きな挫折とか負けて悔しいとかボロクソにされるほどのフィードバックをもらったとか
そういう、どろくささみたいなものは存在していない。
負けず嫌いな性格とか言いながら、負けて悔しいみたいな感情が生まれていない。

特に目標も夢もなりたい姿もないまま、高校2年生から過ごして大学2年生になっていた。

悔しい。
今気づけて良かったと思いつつ、その何倍も今になって気づいたことに。
自分に向き合うことに勝手に無意識的に実は意識的に避けていた。

正直今のこの状況から抜け出せる方法を知らない。
でも、こんな状態でも
もがいて、あがいて、向き合って、どろまみれになることを選択するべきということは分かっている。

だからやるしかない。
キラキラしてると言われるのではなく
どろくさく、元気に楽しくやっていると言いたい。

わかんないけど、間違えにいこう。
間違えても、大丈夫。
大丈夫だと、思い込むしかないから。

もう止まらない。進む。

また想いは考えは変わっていくかも知れないけど。
今の萌生にしか綴れない宣言。

ここまで読んでくれたあなたに、今日も良いことがありますように。



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