【天涯客(山河令)日本語訳】第17章 琉璃
曹蔚宁は一瞬呆然とし、尋ねた。
「彼が...あの盗賊の巨匠、方不知だというのですか?」
若い女性は頷き、死体の左手を指差して説明した。
「ご覧ください。噂によれば、方不知は三十歳前後の男性で、左手に奇形があるとされています。もし証拠が必要なのでしたら、実は彼には...」
彼女は顔を赤らめ、言葉を濁す。
周子舒は死体の滑らかな顔と顎を観察しながら、その言葉を引き継いだ。
「そうだな。伝え聞くところでは、方不知には身体に特徴があるそうだ。お嬢さん、気分が悪くなるようなら、外に出るか背を向けていろ。此奴の下衣を脱がせれば、本当に伝説の盗賊なのかどうか分かる」
女性は同行していた青年に困惑した様子で一瞥を送ると、青年は軽く咳払いをして言った。
「小怜、先に外へ出ていなさい」
若い女は背を向けて外へ出て、入口で待機することにした。女性が背を向けるや否や、温客行は手慣れた動きで死体の下衣に手をかける。一瞬の躊躇もなく引き剥がすと、その特異な切断部位が露わになった。彼は顎に手を当て、どこか懐かしむような表情を浮かべながら呟いた。
「これは間違いなく奴だ。どうりであの時、私の持ち物を掠め取られても気付かなかったはずだ...」
その性急な手つきは止まることを知らず、温客行は方不知の着衣を残らず剥ぎ取っていった。死者への敬意など微塵も感じさせない手荒な物色の末、散乱した品々の中から自身の財布を発見する。中を開いて確かめれば、予想に反して金額は減っていない。満足げに懐へと仕舞い込んだ後、まるで他人事のように声を投げかけた。
「曹兄、あなたの物も見てみては?」
その無神経な振る舞いに、曹蔚宁と傍らの青年は言葉を失い、ただ呆然と見つめるばかりだった。
「温善人よ」
周子舒の声には冷たい空気が滲んでいる。
「死者の尊厳くらい守るものだろう」
彼は傍らの青年から同意を示す視線が送られていることには目もくれず、一呼吸置いて意地の悪い追い打ちをかけた。
「それより、借りている三両の銀子、
今なら返せるんじゃないか?」
温客行は芝居がかった悲しみの表情を浮かべた。
「この私があなたのものだというのに、
たかが三両ごときにこだわるのか?」
見知らぬ青年の表情が更に複雑さを増す中、周子舒は温客行の襟首を掴み、邪魔にならない場所へと追いやった。しゃがみ込んだ彼は、死体を頭から足まで丹念に調べ上げ、眉間に深い皺を刻んで言葉を結ぶ。
「一撃でやられている。胸から背中まで貫通した掌印、これは間違いなく羅刹掌の痕跡だ」
青年の声が部屋に響き渡る。
「まさか、喜喪鬼の羅刹掌とおっしゃるのですか?」
「その可能性が高いな」
周子舒は静かに頷き、死体に布を掛けた。
そして戸外で背を向けて待つ若い女性に声をかけた。
「お嬢さん、中へ入ると良い」
見知らぬ青年は三人をじっくりと見渡すと、
拱手の礼を取って告げた。
「私は鄧寛と申します。高崇の弟子です。こちらは師妹の高小怜。修行の旅の途中でしたが、先日師匠からの書状を受け取り、洞庭大会の開催前に戻って参りました。皆様のお名前をお聞かせ願えるだろうか?」
曹蔚宁は慌てて応じた。
「申し訳ございません。鄧少侠の名は以前より承っておりました。そして、この方は高崇大侠のお嬢様でいらっしゃいますね?私は清風剣派の曹蔚宁と申します。掌門の命を受け、洞庭大会に参加する途中です。師叔も近日中に到着するはずですが、その...この方に旅費を掠め取られまして。周兄と温兄のご助力なくしては窮地を脱せませんでした」
鄧寛が尋ねる。
「お二方は...?」
周子舒はしゃがんだままの姿勢で振り返り、微笑を浮かべた。「英雄などとは程遠い身です。私は周絮と申します。どこの門派にも属さない、気の向くままに放浪する者です。そして...」
彼は温客行を指差しながら、微妙な間を置いて続けた。
「こちらは温客行。正人君子を装っていますが、
実は筋金入りのならず者でして...」
温客行は平然とした様子で言い放つ。
「阿絮よ、私が手を出すのは君だけさ」
周子舒は緩やかな口調で返した。
「私めにそこまでの価値はありません」
高小怜の関心は、もはや死体にないのは明らかであった。一方の鄧寛は冷静さを保ち、温和な笑みを浮かべながら、名門の後継者にふさわしい態度で応じた。
「お二方は実に興味深い方々だ。曹兄と共に我が洞庭を訪れるとあれば、同じ道を歩む者...周兄、この盗賊もまた喜喪鬼の羅刹掌の犠牲になったと?」
鄧寛と高小怜が視線を交わす中、周子舒と温客行は知らぬふりを装い、茫然とした表情を浮かべていたが、曹蔚宁が先に口を開いた。
「そういえば。聞くところによれば、趙家荘の外で
鬼谷の者たちが暴れているとか。まさか...」
「曹少侠はご存じないのですね」
高小怜が説明を加えた。
「先日、太湖の趙家荘から知らせがありました。趙家荘に滞在していた断剑山荘の穆云歌も、この羅刹掌によって命を落としたのです。鬼谷の悪鬼どもめ、悪事を重ねるだけでなく、こうも傲慢だとは」
ここから洞庭までは遠くない。歩いても一日の道程で、翌日には到着できる距離だ。すでに高大侠の領地と呼べる場所である。この姑娘の言葉は、正義感からの憤りなのか、それとも父の領地を荒らされたことへの不快感なのか、判然としない。ともあれ、鄧寛と曹蔚宁は無意識のうちに頷き、「その通りです」「まさしく」と同意を示した。
かつて武林が大結盟を果たした際、三枚の「山河令」が作られた。徳望の高い者がこれを所持し、重大な災厄の際にのみ使用が許される。三枚の山河令が揃えば、英雄大会を召集することができ、天下の豪傑たちを集めて共に事に当たることができるのだ。
現在、この三枚の山河令は、「鉄の判官」高崇が一枚を、少林寺が一枚を所持している。そして残る一枚は、すでに長年世事に関わることのない長明山の古僧の手中にあるという。
今回の騒動は、すべてが鬼谷への対応を指し示している。
まさか、仙道を求めて凡世を顧みないと伝えられる古僧までもが動き出すとは、誰もが予想だにしなかった事態の進展であった。
鄧寛と曹蔚宁は相談の末、他の者たちの意見も仰ぎ、一つの結論に至った。馬車を雇い、方不知の遺体を今夜のうちに高崇の元へと運ぶことだ。それは、夜が明けるまでに予期せぬ事態が起こることを懸念しての決断であった。
曹蔚宁と鄧寛の相性は極めて良好で、初対面とは思えないほどの親密さを見せていた。それを冷ややかに眺めながら、周子舒は考えを巡らせる。
高崇その人の品はさておき、弟子や娘の教育における手腕は確かなものだ。傍らで時折言葉を添える高小怜は、若年ながらその立ち居振る舞いに気品が漂う。顧湘と同じような年頃でありながら、騒々しさも甘えも見せず、礼節と分別を兼ね備えていた。
「わが家の阿湘も、
高小姐のような品格を備えていれば...」
温客行が突如として溜息まじりに感慨を漏らした。
「この身が果てても、瞑目できようものを」
高小怜は振り返り、端正な微笑みを浮かべる。
「温大哥、褒めすぎです」
周子舒は冷笑を漏らし、低い声で言った。
「高小姐は高大侠のお嬢様だからな。顧湘も...本来は良い娘だ、ただ、上が曲がっていれば下も歪むというわけで。」
「阿絮よ」
温客行は真面目な表情を装って続ける。
「高小姐の素晴らしさを認めただけだ。
そのように嫉妬に駆られることはないだろう...」
その言葉に、高小怜は明らかな困惑の表情を浮かべ、二人に一瞥をくれると、急ぎ足で鄧寛と曹蔚宁の元へと駆け寄ってゆき、周子舒と温客行は自然と後方に取り残される形となった。
周子舒は軽く笑い、声を潜めながら切り替えた。
「温兄、一つ気になることがある──我々が部屋に入った時、なぜ方不知の遺体は衣服が乱れていた?承知の通り、あの方兄は昼夜問わず活動する者であったはずだが。」
温客行は顎に手を当て、しばし思案してから問いかけた。
「つまり、喜喪鬼が方不知に横恋慕し、邪な行為を迫ったが、必死の抵抗に遭い、怒りに任せて殺害した...という推理かな?」
そう言うと、首を振りながら溜息交じりに付け加えた。
「やはり、美しき者の命は儚いものよ」
周子舒は無表情のまま言葉を返す。
「温兄の洞察力には感服するよ。私めなどは、犯人が方不知の身に何か目当ての品があり、殺害後に探し出そうとしたのではと考えたのだが」
温客行は一瞬言葉に詰まり、おどけた様子で頷いた。
「それも、一理あるな」
ふと横を向くと、
周子舒が意味深な眼差しを向けている。
「温兄、あの日、
財布以外に何か失くしたものはないか?」
温客行は周子舒の目をまっすぐに見返し、率直に告げた。
「ある。中の銀子は無事だったが、
琉璃甲が消えていた」
周子舒の表情から、徐々に笑みが消えていった。その瞳は氷水に晒されたかのように、黒く沈んで冷たさを帯びている。しかし温客行はそれを意に介する様子もなく、相変わらず朗らかな態度を崩さない。
長い沈黙の後、周子舒は静かに言った。
「温善人よ、『伯仁を殺さずとも、伯仁己が故に死す』とはよく言ったものだ。これをどう解釈すればよいのだろうな」
温客行は黙して答えない。
ちょうどその時、前方では曹蔚宁と鄧寛が周子舒の体調不良を話題にしていた。鄧寛が振り返って、深夜の道中を耐えられるかどうか、もう一台馬車を用意した方がよいのではないかと尋ねに行こうとした時、二人の間に漂う異様な空気が目に入る。
温客行の表情から笑みが消え、周子舒の瞳には言葉では言い表せない光が宿っていた。
鄧寛が不審に思い、声をかけようとしたその瞬間、温客行が突如として笑みを浮かべ、電光石火の如く周子舒の顎を掴むと、顔を寄せて唇を重ねた。
鄧寛は名家の出とはいえ、しばしの間、唖然と立ち尽くすしかなかった。やがて心を落ち着かせ、同じく呆然とする高小怜と曹蔚宁に向かって、取り繕うように告げた。
「そ、それでは...そういうことで、私たち四人は...
先に、先に進むことにいたしましょう...」
彼は混乱のあまり、人数を数え間違えるほどであった。
三人が振り返る勇気もないまま遠ざかっていくと、ようやく周子舒は温客行の束縛から逃れ、その腹部に鋭い一撃を見舞う。その表情は冷厳に変わっていた。
「温兄、この冗談は少しも面白くないな」
温客行は腹を押さえながら身をかがめ、どこか不快感を覚えさせる笑みを浮かべたまま、低めいた声で囁いた。
「伯仁を殺さずとも、伯仁己が故に死す、か?
阿絮よ、君の見立ては間違っているようだな?」
周子舒は冷たい眼差しを向けたまま動かない。
温客行はゆっくりと体を起こし、静寂に包まれた夜道で、溜息まじりに呟く。
「琉璃甲には、絶世の武功が、あるいは敵国の至宝が秘められているかもしれない。誰もが欲しがるはずだろう?」
温客行は無言で口角を上げたが、
その目に光は宿っていない。
「方不知のような盗賊は、私利私欲のままに行動する。気に入った物は、人の命を救う金さえも構わず、手当たり次第に奪う。彼が欲しがらないことがあろうか?喜喪鬼も然り、悪事を重ね、やむなく鬼谷に身を投じ、人とも鬼ともつかぬ生を送ってきた。
彼もまた欲するのは当然だろう。なら、お前はどうなのだ?善行を積んでいると言うが、それは前世や今生の罪が地獄の十八層で裁かれることを恐れてのことだ。もし、天下無敵となり、夜半の魑魅魍魎をも恐れぬ力を得られるとしたら、お前は欲しくはないのか?」
周子舒は、ゆっくりと、極めてゆっくりと首を振り、
嘲笑を浮かべた。
「俺は元より、夜半の鬼の来訪など恐れはしない」
そう言い放つと、もはや相手を見ることもなく、
大股で前方へと歩き出す。温客行は、その背中を不可解な表情で暫し見つめた後、突如として笑みを浮かべ、こう言った。
「周聖人よ、桂花酒の味は、実に格別だったな」
周子舒は聞こえないふりをしようとしたが、
思わず袖で唇を強く拭いながら、心の中で罵った。
(温客行、あの野郎!)
*「伯仁を殺さずとも、伯仁己が故に死す」は、"直接的に手を下さなくとも、自分の行動・無行動によって、他人に悪い結果をもたらしてしまう"という意味の故事