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欲しいものは欲しいと云った方が勝ち

松の内は江戸時代までは15日程度までとのことだったので、考え方によってはまだ言っても良いようです。「あけましておめでとう」!

 

おゆちゃんは自然の風に吹かれている時分でしょうか。そして若葉ちゃん、近況をどうも有り難う。どうか無理なく。わたしの方は10月からの職場も試行錯誤しながら淡々と愉しくWFH(Working from home)に勤しむ日々です。今年のResolutionsについてはBlancarte Letterで購読者の方々にお送りしようと思ってます。

明日は2021年さいしょの新月だからね。


『魔法のくすり』を聴きながら。年末に晴天の霹靂で20年ぶりくらいに失恋を経験しました。おもしろいくらいの10年間かけての不戦敗。横道に逸れたり逸れたり逸れたり逸れたり(逸れすぎですね)逸れなかったり、20代ほとんどを費やした終わりにしては呆気なく、それでいて自分で笑ってしまったのは終わりのあとにきた安堵。端から幸せにしてもらう気のないセーラームーン仕込みのわたしにとっては幸せにしたい存在ではなかっただけかもしれない。どこかでだれかと幸せでいてくれたらそれでよかった、のかは分からない。でももしもこの先、世界のどこかでわたしが相手の(或いは相手がわたしの)活躍を目に耳にする日がくるとするのなら、それはそれで悪くないどころか寧ろ手放しで出迎えたい。

2018年 秋、ピサへ到着して乗り込んだタクシーのなかで恩人がこんなことを言ってくれました──、「人生は縁と運とタイミング」。わたしのタイミングカードと御仁のタイミングカード──、それらが悉くズレつづけた挙句の晴天の霹靂エンディング。奇しくもいまの仕事を選んだがゆえの今ココ!なのだから『Interstellar』のCooperばりに未来の誰かからの悪戯であったらいっそ清々しい。わかりやすく失恋と書いてみたはものの、我ながらこれはどれかというと(どれとは?)太田治子の『青春失恋記』に違和感なく加筆できてしまえそうな、大恋愛とは程遠い一綺譚です。でもなお男女の友情はないと思ってしまうのだけれども。


若葉ちゃん、わたしから言えることは人生はとても短いから、違うと感じたらたとえば地球の裏側にいくのも一つの解だったということです(今はその自由こそがないけれど)。感じられるというのはすごいことだよ。

今年はもっと気兼ねなく書いて回せる場所にしたいですね、matou。わたしの好きなシェイクスピアの言葉── “Brevity is the soul of wit.” ──と、ともに。

他人じゃなくて自分に正直なところが好きです若葉ちゃん。今年もどうか神出鬼没、ときどき都会のオアシスで。好きですおゆちゃん。With virtual hugs!

 

今年もふたりが地球のどこかで「パチーンッ」と光る瞬間と出会う日々のなかを過ごしていけますように。


二〇二一年一月十二日 東京の自室より
碧 拝


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