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起業家ピッチコンテストにエントリーしてみたら「やりきること」は自分を信じることだと気がついた

エントリーしようと思ったきっかけは2つ。
話を聞いてわくわくしている自分に気がついたこと。
選考通過後の参加日程が奇跡的に全てが空いていたこと。



締切1週間前にエントリーを決める


それまではピッチコンテストの存在は知っていたものの、エントリーを決めていなかった。締め切り1週間前、オンラインイベントがあり、なんとなく出てみたそれはとてもわくわくする内容だった。

人生において最良の選択が「起業」と言い切る姿はキラキラ輝いて見えたし、創業時のぶっちゃけエピソードは遠い人のように感じていたお二人を身近に感じるエピソードだった。

畏れ多くも「あれ、もしかしてもしかして…………….わたしにもできる…?」そんなことを感じさせてもらえた。(もちろん起業が容易だとは思っていない。そう思わせてもらえるお二人の人柄とトーク力の賜物だ。)

そこから急ピッチで進めた事業計画は予想通り大変だった。
当たり前っちゃ当たり前。だってそんなのやったことない。
そしてきっとわたしはこういう「計画」が苦手だ。

できない、やらない理由なんて山ほどあった。
それでもエントリーしようと思ったのは、この事業計画をつくるプロセスで必要な思考はこの先必ずわたしの役に立つと思ったから。

個人の仕事でやっていくにしても、誰に、何を、どうやって届けるのか、競合との差別化はどうやって図るのか、これら全てが必要だと感じた。

そこに気がついたらエントリーしない理由はなかった。
完璧を目指すのではなく、どんなかたちでも今のわたしができるものを出す、これを目的とした。

そうと決めても途中で何度も「ああ、できないかも、やっぱりわたしには無理なんだ…」と投げ出したくなった。それでもやり切ってエントリーしたのは、今のわたしができるものを出すことをゴールとしたから。

中途半端でもいい、うまくできていなくていい。とにかくこのプロセスがきっといつか役に立つ。そう感じていた。

そうしてなんとか仕上げた事業計画書を提出した時「やりきった」という気持ちで心が満たされた。

わたしはこの「どんなかたちでもやりきる」という経験をずっと欲していたことに気がついた。


前職で感じた悔しさ不甲斐なさ申し訳なさ


仕事で求められていることができず、上司に巻き取ってもらうことがしばしばあった。どんなにやってもうまくいかず、結局最後は巻き取ってもらうことで仕事が完結した。悔しさと、不甲斐なさと、申し訳なさで心がどんどん削れていった。

わたしがやってもどうせダメ。うまくいかない。
そんな気持ちで溢れていた。
最後までやり切れた、ということを感じること、そして何より自分を信じることができなくなっていた。


やりきることは自分を信じること


きっといつか役に立つ、そう感じてはじめたピッチコンテスト準備だったけど、実はいつかのわたしだけじゃなく、今すでにここにいるわたしのためにもなっていた。

「やりきる」
それは自分を信じること。
わたしにもできる。
完璧かどうかは問題ではない。

前職からの経験も通してそう感じた。

「やってみたい」その気持ちをどんなかたちであれ叶えてあげたいという気持ち。そして、わたしならできると信じること。
やりきるとはわたしの中でそういう意味が含まれていた。

どうしたって完璧なもの、いいものを出したくなる。
そりゃそうだ。それくらい想いがつまってる。
だけど、完璧じゃないからと、いいものじゃないからと最初からあきらめてしまっては「やってみたい」その気持ちは誰が叶えてあげるんだろう。

完璧を目指すのではなく「まずはやってみる。」「どんなかたちでも自分のやりたいを叶えてあげる」そんな完了主義でいられたら「やりきる」こともできるんじゃない?それは自分を信じることであり、自分への信頼という名のプレゼントになるんじゃない?と、ピッチコンテストエントリーを通して感じた。


画像はunsplashより






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朝倉翠 | 心地よさの探求
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