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#142 「宝物の1ヶ月」

私は、大学1年生の3月の1ヶ月間、ベトナムのホイアンというところにいた。なぜそこに行っていたかというと、英語のプログラムと武者修行プログラムというものに参加するためであった。

以前もこちらのnoteで綴ったこともあるかもしれないが、ある出来事があって、また書きたいと思ったので再度言葉を残していきたいと思う。たぶん今なら昇華できると確信したからだ。

大学1年生の私は、当時いた典型的なバンドマン/ダメな男と付き合い、恋愛と大学の授業とバイトの繰り返しの生活だった。私は大学受験がない私立の学校に通わせてもらっていたので、せめても大学から入ってきて”大学デビュー”している人たちよりは真面目に授業を受けたり、その人たちが遊んでいるすきに自分を高めておきたいと心の中では思っていたし、当時は他者との比較の意識がまだ根強く残っていたために自分の能力に対して焦っていたと思う。だが、私は上記のようなまさしく私も典型的な大学生に落ちぶれており、それまで優等生ぶって過ごしていたがゆえにそうではない堕落した人間になりたいとさえ思って日々過ごしていた。未成年なのに、○○をしたり○○をしたりと、まあその辺は各人の想像に任せたいと思う。

そうこうしているうちに最初は楽しかった典型的な大学生活が、恋人との軋轢によってだんだんと崩れていき、俯いて過ごすことが多くなってきた。そして、その典型的な大学生活に対して飽きを感じるようになっていた。もちろん、音楽や映画にどっぷりはまってある種の高等遊民的生活を送っていたのは、とても好きな時間でもあったが。だが、現実とも向き合わないといよいよ現実社会で生き抜いていけないのではないかという気持ちもあった。

そして私は「もっと面白いことやりたい、もっと日々がワクワクするようなこと」を渇望するようになっていた。

思ったら、行動するというのが私の信条なので、その次くらいにはキャンパス内にいた高校からの友人に声をかけて、心の内を話して留学なのかインターンなのか手当たり次第に情報を集めていた。

情報収集した中で、私は武者修行プログラムという存在を知ることになる。
12月23日ごろにタリーズで他大学の経験した先輩から話を聴いて、その場で行こうと決めていた記憶がある。もうこの大学1年12月には自分の中で、「もっと変わりたい欲・自分の中で変革を起こしたい欲」に駆られていた。

海外に行けるということ、見知らぬ全国からの同世代に会えるということ。
それだけでも私はワクワクして仕方がなかった。

そして初めて一人で飛行機に乗って、本当に着けるのか心配になりながらも
ベトナムのダナンに着くことになる。ダナンに着いて、出席をとって、そこから各々予約したホテルというか長期滞在用のこじんまりとした民泊的なところに送迎された。

宿屋につくと、私は英語も話せないベトナムのおじさんと向き合うことになる。まだスマホがあってGoogle翻訳があったから助かったのだが、色々滞在のことについて説明したり、とにかくこのおじさんは私のことをだましてないよね?とか疑いつつもとりあえず寝床にありつけた。夜ご飯はまだだったので、ホテルの隣の隣にあるめちゃくちゃローカルなよくわからないお店に行ってとりあえずnoodle的なのを頼んだ。もちろん、残してしまったのだが、、、。

それから2週間は英語のプログラムに参加した。ほぼ同世代の人たちと会うことになり、毎日天気も良い中、色んな経験をしてきた外国の先生たちと英語を学ぶ日々が始まった。今になっても、まともに英語を話せないけれどもそこで学んだことはインプットも大事だけれども、アウトプットも同時にめちゃくちゃ大事だと言うことだ。基本的に日本では座学的な感じで英語を学んでしまうが私は言語はその言語を使っている人と話すことが大事だと思った。
その英語のプログラムでやったことは、ひたすらホイアンに観光に来ている欧米の方たちに話しかけまくるということだった。最初は緊張するし見ず知らずの人が話かけるなんて大丈夫なのか?と思ったりはするものの、GOGOと言われて絶対話さないといけない状況に追い込まれてくると、なにかしら英語を話さないといけなくなり、言えなかったり伝わらないこともあるけれども、伝わったことの嬉しさも同時に味わうことができ、「もっと伝えたい」と思うことになって、そっからは勝手にエンジンが回っていく。いい人は20分くらい話してくれて、見ず知らずの若い人間と国が違うおばあさんと話す経験はめったにないだろう、、、。
そんなこんなで強制的に英語を話さないといけない2週間で私は「その場に勇気をもって飛び込んで、どんどんアウトプットする力」を少しは身に着けられたのではないかと思っている。

また、そこで出会った仲間も素晴らしかった。今でも交流のある人たちだが、特に渚とは出会えてよかったと思う。いつも明るくて落ち込んだ時も励ましてくれて、自分との向き合い方が上手で。英語のプログラム中、彼女にはたくさん助けてもらったし、そこで初めて出会った友達にしては気が合って、異国の地で濃く楽しい時間を過ごせたなあと思う。夜の街を歩いたりして景色をみたり、浜辺で寝ころびながら色々語り合った時間も、もう二度と戻ってこない時間だけれども、心の宝箱にしまっておきたい時間だ。

2週間の英語のプログラムが終わった後は、武者修行プログラムという一言でいうと「ここでビジネスを作りましょう」という内容のものだった。ある程度お店などの土台があったうえで、自分たちでオリジナルな商品を作ったり、サービスを作ったりする。

そこで初めて会った2人のチームメイトと、街に出かけて行ってひたすら自転車で駆け回ってデータ・情報を集めたり、カフェで真剣に話し合ったり、チームビルディングしたり、、、と泣いて笑ってガチになった2週間だった。

そこではめちゃくちゃ自分と向き合うことになって、自分の良いところも悪いところも出てきてしまう。異国の地で自分という存在を投げてみて、勝負する。海外にいくと、より克明に自分の輪郭が見えてくる感じがして、逆に日本のことや自分のことをあんまり知らなかったんだなと思い知らされる。

すごく印象的な事としては、ベトナムのホイアンは安くで服やドレスを作ることができるところが多く、裁縫なども得意としている場所があって、私はそこに価格交渉と商品をこういう風に作りたいという依頼をしにいったことだった。相手はベトナム人だったからあんまり英語も伝わらない中でのコミュニケーションだったが、結構面白かった。

こういうわけわからない場所に飛び込んでいって、なんとかしてくる経験は今にも活きていると感じている。例えば、突然私にある仕事を任されて先輩がいないけどやらないといけない状況になった時。上記のような経験があったから、特になにも思わずすぐに対処できてしまったりする。「予測不可能な事態に陥ったとしても、たぶん自分はやっていける」というそんな確信を自分に対して持てる事ができたのもホイアンにいって身を投じてきたからだと思う。

最後に。このプログラムを作った代表の和也さんについては、数年前にあの若さでお亡くなりになられてしまって、本当に悲しい。しがない大学生だった私に本気になって向き合ってくれた。大人がただの大学生に本気になってくれる時間は私にとって宝物だったと、今振り返って強く思う。

かなり長くなってしまったが、今大学生の方でこれを読んでいる方は、ぜひ武者修行プログラムに参加してみてほしいと思う。これはお金をもらっているから書いているわけではなく、本当におすすめできるから書いている。
参加するお金がないというのはただの言い訳に過ぎない。
自分がやりたいことにただ突き進んでほしい。


いつもありがとうございます!