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日常に枯れない植物を!への違和感について考える
分かってるんです
枯れない植物にもその役割があること
衛生的な面で飲食店とか、植物が届く環境じゃないけど緑が欲しいっていう場面とか
枯れない植物にしかできない役割があるから
それが誰かの安らぎや喜びに
つながるとも信じてます
でもふと目に入った広告に
日常に枯れない植物を!
の文字
なんか、「枯れない」って
呪いみたいな感じがして
枯れたっていいじゃん
枯れるって生きてるってことだし
枯れたからこそ滲み出る魅力もあると思う
でも枯れてない方が
美しいと思ってしまう自分もいる
ずっとフレッシュなまま、若々しいまま
シワも、シミも、たるみもなくて
太りすぎても、痩せすぎてもいない
健康的で理想的な姿
それが時と共にうつろい、なびき
わたしはわたしから変わっていく
待っているのはわたしなのに怖いのはなぜ?
枯れてしまうのを恐れるのはなぜ?
誕生日の前だからなのか
そんなことを思いました
外見的に枯れゆく自分を
受け止めるには時間がかかりそうだけど
せめて内面だけでも瑞々しく
枯れない自分でありたいなと願います