今日からスタート
大学でのスクールライフはくそだった。
勿論くそだというぐらいだから根拠がある。
僕は音楽バンドをやる時間を得るためにお金を貯めて大学に入った。
一度浪人したが、浪人時代に音楽に強い大学をリサーチした。
早稲田、明治、法政、立教、、
これらになんとしてでも入るつもりだったが、
結局これらのどこにも入ることはできなかった。
僕は一浪して、あまり個性のない大学に入り4年を過ごした。
初年度、音楽サークル探しに全てをかけた。
様々体験で入会できたが、最初に入ったロックサークルはみんなめちゃくちゃオシャレで、しかし、音楽の話は全くできず(「ブラーとオアシスは知ってるよ。ギター?実はあまり楽器は弾けないんだ。女の子探しに来たんだよ。な?みんな下北系でオシャレだろ?」)オシャレではなく、毎日西新宿でたまに(偶然)灰野敬二さんの横でレコ漁ってるようなやつでは太刀打ちできなかった。次に行ったサークルはロック全般!っていうので行ってみたが、60s、70sオンリー、日本においていくつかのメディアが積極的に推した人たち(クリーム、ツェッペリン、クイーン、パープル、チープトリック、キッス、三大ギタリスト)以外は認めない感じで、ザッパや、プログレ、イーノやカンタベリー、大好きな90s全般が入る余地など全くなかった。絶望感に満たされる前にそっと部屋を出た。
次のサークルでサークル巡りは最後にしようと決めた。大学に入る前から分かっていたが、この大学はダサい。
学外に仲間をつくりバンド活動をしよう。
一応足掻いてみようと始めたサークル探しだったので未練はなかった。
次のサークルで参加した日は、大学が始まってかなり経っていたのにようやく一年生の自己紹介がされるという日だった。
最初のやつは、第二の長渕になるため体を鍛えていると言っていた。そして持ってるギターで長渕を熱唱。
自分は長渕以外は信じません!と絶叫。アウト。
2人目の女の子は流行ってる音楽や好きな音楽もよくわからず、ただ下北系男子と話がしたいから入ったと言った。気になる人探してますとのこと。アウト。
3人目はボブディランそっくりの格好をしている。
Highway 61 Revisitedのアレだ。
勿論ボブディランが好きだと言った。
先輩方から歓声が上がる。
しかし、楽器は弾けずいつかボブの曲が1曲でも出来るようになったらバックで弾いてほしい、と言った。
先輩の1人が「The Bandだな?」「さすが先輩詳しいですね!」と言うとえらい盛り上がりだ。アウト。
僕の番になった。
「今一番聴いてるのはBECKですね。斬新なローファイのアプローチに影響を受けてます。ローファイの基礎は60sにあります。僕は60sが好きなのでローファイに親和性を感じています。」
すると先輩方が大熱狂!
あれ?たじろぐ自分。
急に90sがOKになったぞ?
おー、若いのにBeck聴くのか!珍しいね!
Beckのなにが好き?
「BECKはやはりメジャー1stです。Kから出たアルバムも好評ですがアルバムには楽曲の多様性を求めているので、やはり1stです。」
ざわざわする先輩たち。
K?
Beckの最後のアルファベット、kだよ。
あー、なるほど。
そのkよりよいのが1stということか
しかし、、そもそもkとは…!
おそらくベックのアルファベットのkの位置、最後のアルバムということじゃないかな。
それより1stがよい、と。。
なるほど!だとしたらkは今のソロ活動のではなく、もう終わったプロジェクトのことか。
うむ…彼は深いことを言っているよ!
Beck関連プロジェクトの中の厳密に言うと何のかな?
など聞こえてくる。
もう完璧に分かった。
こいつら完全にJeff Beckと勘違いしてる。
この時期、世間的には90sが花盛りだったので、僕はそっちに傾倒していたが、60s、70s辺りはそもそも中学時代でとっくに履修済みだ。
Jeff Beckの議論が進まないので、
「年代的に考えれば、一番早く組んだのはJeff Beck Groupのことなので1stとなると『Truth』でしょうね。あと自分三大ギターリストとか全然興味ないんで帰っていいっすか?」と言った。
本当はそれぞれの時期の特徴や挑戦、実際にそれぞれのソロでのスケールの違いには興味があったので譜面なしの耳コピで彼らのソロを弾いたりと、それなりに触ってはいたので実は色々話せることはあったのだけど、既にこの頃、やたらレコ屋で親切に青年に話しかけてくるおじさんのお客さんに、あれはメディア先導だったんだよ、まずオリー・ハルソール辺り聴きなさい、とか、日本で売るにあたってうしろに何々がいてさあ、とか黒い話を沢山聞かされており、この辺の話はちょっと避けていた時期だった。それに、今日は話に来たわけじゃないし、バンド組める奴を探しに来たのだ。
しかし、この部屋にいた人で楽器を持ってる人はフォークギターを持った長渕1人という壊滅的な状態。しかも楽器ができると言う先輩は半分にも満たなかったことから、さて、帰るかな、となった。
しかしその時、部屋の扉がすごい勢いで開き、
金髪にモッズスーツの人がすごい凄いで入ってきて、
叫び出した。
「俺はモッズバンドやってる!ボーカルだ!UK、US、アンダーグラウンド、サイケ、クラブが好きなやつ仲良くなろうぜ!俺はN!よろしくな!」
ああ、校門の入り口にあったデコりまくったベスパ、持ち主がわかったぞ。
この大学に入ってようやく面白そうな人が現れた。
僕は試すようにゆるく挙手し、
すいませーん、と言って、
「先輩、クラブどこ好きっスか?」
と聞いたら
「ロック箱は大体好きだよ。先週末はみるく!」
「あ!◯◯さんも回してた日ですよね!行きたかったんすよー!」
うん、、こいつは話せるぞ。ちゃんと箱行ってる奴だ。この時期のみるくは当時最先端のロック、アヴァンの箱でかっこいい奴らが集まる最高の場所だった。大学生の友達によく身分証を借りて入ったものだ。
向こうも話せると思ってくれたみたいで池袋WAVEの話とか、西新宿ラフトレードに話題の◯◯が入荷してたよ、とかの話で盛り上がった。
他の、部屋にいるサークルの人たちは明らかにその人の登場につまらなそう。
なんとなくその人が、そのサークルであまり上手く馴染めてないことがわかった。
しかし、なぜこのサークルに彼のような人が…。
すると彼が「決めた!おいお前、全然ビビらなくてとても良い。面白そうだ。今から俺の仲間を紹介するよ。みんなインディーで活躍してる連中だ。さあ行こう!」
部屋ではまだ一年生の紹介がやっていたが、なんとなくあまり期待持てないし、
この先輩について行った方が楽しそうだったので部屋を出た。
一年後、彼とはCANのようなバンドを結成、より仲を深めた。
同時期に、東京のアンダーグラウンドを牽引するレーベル、アンダーフラワー、LD&K、KOGA、UKプロジェクトなどの主に下北沢を中心とした様々な現場や、様々なバンドの人と彼は会わせてくれた。
変な大学に入って絶望していたが、この日を境に僕は明治大学の学生を中心に学外のメンバーを集めて彼のとは別のギターロックバンドを組み、90年代後半、東京インディーの中心地で足掻きながらも活動する日々をスタートさせる。
結局この日から今まで、僕は辞めることなくジャンル境なく音楽活動を続けていくことになった。