ER -救急の現場から見える社会の縮図-
執筆:舩越 拓先生
急性アルコール中毒で過換気発作を起こした40代の女性が救急搬送されてきました。
患者さん:点滴してくれないんですか? 前運ばれた病院ではやってくれました。
専攻医:なるほど、前の施設ではやってもらったんですね。
患者さん:そうです、だからやってください。
専攻医:ただ、点滴は症状改善にはあまり役に立たないとも言われています。他にも症状を和らげることができる方法はいくらでもありますから、つらい症状を我慢せず具体的に教えてくださいね。
患者さん:なるほどそうなんですね、今は手足が痺れるのが辛いです。
専攻医:それはアルコールの影響というより過換気によるものではないでしょうか。まずは呼吸を落ち着けて症状が良くなるのを待ちましょう。
◆急性アルコール中毒
急性アルコール中毒で救急搬送される患者さんは、東京消防庁の管内だけでも年間2万人弱とされ、人口換算すれば全国で10万人を超える救急搬送が生じている計算になります[1]。依存症などのアルコールが影響する慢性疾患の影響を考えればアルコールが健康に与える影響はさらに大きいものとなります。
急性アルコール中毒で救急搬送された患者さんに対して有効な治療は実はほとんどありません。嘔吐などで窒息しないように適切な体位をとってケアしますが、よく言われる点滴にはほとんど治療的な効果はありません。アルコールは利尿作用があるため脱水になりやすいのは確かですが、アルコールの血中濃度は補液をしてもほとんど影響を受けず、帰宅までの時間が長くなる可能性なども示唆されています[2]。
そのため気道閉塞のリスクがないいわゆる「飲み過ぎ」の患者さんは何もせず目が覚めるのを待つ、のが治療の中心となります。
診察を終えた専攻医が治療方針の相談に来て、概要を聞かせてくれました。
専攻医:診断はアルコール中毒で問題なさそうです。過換気も今は落ち着いています。アルコールだけしか摂取していないようなので他の薬物の影響も考えなくてよさそうです。
指導医:じゃあ帰れるようになるまで休んでもらうだけでいいかな?
専攻医:そうですね、嘔吐もなく脱水もないようなので点滴も必要なさそうです。
指導医:分かりました。そうしましょうか。
専攻医:でも気になる点があるんですよね……
指導医:気になる点って?
専攻医:患者さんはいいのですが、小学生の子どもが2人付いて来ているんですよ。いま午前1時ですよね、目が覚めて帰るころには4時くらいになっているかもしれません。
指導医:そうだね、随分待ってもらうことになりそうだね。
専攻医:このまま待って帰ったら明日の朝に学校行けますかね? ちょっと難しいと思います。お子さんに聞いたらアルコールで運ばれるのは初めてではないみたいです。
指導医:なるほど、明日は平日だから学校あるよね、何回も運ばれているのなら学校行けているのかは心配だね。
専攻医:院内の委員会を通して行政と共有するのがよいかもしれません。
指導医:たしかに、一報入れておくのがよいかもね。ありがとう。そんなところまで気がつくなんて流石だね。
◆経済格差と健康格差、その世代間連鎖
健康と社会経済的格差の相関は、欧米と比べると小さいことが指摘されているものの、近年の日本では社会経済的要因による健康の社会格差が増大している可能性が指摘されています。この相関関係はアクセスの不平等、すなわち高所得層が健康ケア、栄養、教育などのリソースにアクセスしやすく、健康に関する情報やサービスを利用しやすい一方で、低所得層はこれらのリソースへのアクセスが制限されることが多いため、健康リスクが高まるというものです[3]。アルコールをはじめとした薬物乱用の問題は経済的に豊かでない人に多いとされています。実際に失業や借金などで生活が困窮すると、こうしたストレスがさらに飲酒問題に拍車をかけることにつながり、アルコールは貧困が再生産される背景のひとつになっています。しかし、健康につながる経済的要素の問題は世代間の連鎖を起こすことが大きな問題です。貧困層の親がさまざまな制約の中で子どもを育てることは、経済的に不利な状況から脱却し、健康的な生活を追求することが難しいこともあり、子どもの健康へのリスクを増加させ、健康格差が世代間で連鎖的に続く可能性があります。
今回の症例のように、親のアルコール乱用が続くことで起こり得る影響は、親の健康が脅かされることだけではありません。子どもが学校に適切に通えない → 学習格差 → 経済格差 → 健康格差と次々と問題が世代間にも伝播してしまうのが問題です。
そのため少なくとも学校にしっかり通えているのかの確認だけでも行政と連携することが必要になってくるでしょう。
◆患者さんのその後
患者さんは何事もなく症状が落ち着いて帰宅となりました。翌朝に行政と連携したところ、既にこの家庭をフォローしていることが明らかとなりました。
常々、救急医が社会のセーフティネットとしての役割を担うべきだと言っている指導医は、専攻医の社会的背景にも配慮したマネジメントを嬉しく感じたのでした。
文献
1) 東京消防庁:他人事ではない「急性アルコール中毒」https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/lfe/kyuu-adv/201312/chudoku/
2) Homma Y, Shiga T, Hoshina Y, et al: IV crystalloid fluid for acute alcoholic intoxication prolongs ED length of stay. Am J Emerg Med 2018; 36(4): 673-676.
3) 日本学術会議 基礎医学委員会・健康・生活科学委員会合同パブリックヘルス科学分科:提言 わが国の健康の社会格差の現状理解とその改善に向けて。https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t133-7.pdf
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※このエピソードは実話ではなく、これまで経験した例をもとにしたフィクションです。