耳の痛いことをいう人を大切にする
年を取ると直言してくれる人が周囲から減ってしまうものだ。
中国の皇帝だったら諫議大夫を雇うんだけど、そうもいかないので、耳の痛いことを言ってくれる人を大切にするしかない。
耳の痛いことを伝えるときは、ニコニコしながら穏やかに
耳の痛いことを言う側から考えると、別に耳の痛いことをいうからといって
ことさらに厳しい口調になったりする必要はないのだ。また顔を真っ赤にして緊張して話す必要もない。
「こうなんじゃないですかね」と客観的データをもとに伝えればよい
もちろん思い切りへりくだっていってもそれはよい
耳の痛いことをきちんと言ってもらうためには
直言したものに感情的に対応してはいけない。おだやかに受け止めたい。しかし右顧左眄してはいけない。やはり普段から偉ぶらないでいるしかない。普段から偉そうにしていると難しい反応になる。
穏やかに言われたからといってないがしろにせず、きつく響いたからといって感情的にならず、疎まず、ねにもたず、耳をかたむける姿勢が重要だ。なかなかむつかしいものだ。そうでなければ今なお太宗の末裔により唐王朝は隆盛を保っていたことだろうから。
批判的なコミュニケーションを深めるリテラシーをみにつけたい
考えてみるとスマホの時代になりもう最初から直言する人はいなくなってしまった。いたとしても我々は耳を塞いでいる。SNSでも自分の意見と異なる意見はそもそも目に入らないこの頃。ファクトを検討することで精いっぱい、気に入らないことをいう奴はブロックすればいいという中で、揚げ足取りや全否定ではなく、実のあるコミュニケーションをweb上に構築することは可能だろうか