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都会人観察

窓から見える人の往来は、全体を、何も考えずに見ていれば何も変わらない日常のように見える。

しかし一点一点を注視してみると日常が非日常に、また非日常から異常にも見えてくる。


子どもは止まっているのに赤信号をズカズカと渡っていく母親。

鉢植えに煙草の吸殻を隠す男性。

ベルを鳴らし、蛇行して人々を避けながら走る自転車。

スマホに視線を奪われ、群衆に直線的に突っ込んでいく人。


利己的で、盲目的な人間が多く目に映ってしまう。

やっぱり世界は非合理で、不都合で、個人の感情によって出来ているんだと実感する。

しかしそれを咎めることは決してしない。

世界を構成する誰しもが、そういった要素を持っているから。

ただそれが他人を害するものか、そうではないかの違いがあるだけだ。

前者であれば止めるべきだし、後者であれば全く問題はない。


悪趣味かもしれないが、僕はそんな前者寄りの人々の目を見るのが好きだ。


この人は何を考えているんだろう、もしくは何も考えていないんじゃないのか。

この目には何が、どんな風に映っているのか。

この人にとって世界は何なのだろうか。


そんなことを考えながら彼らの目を見る。

するとたまに目が合う。

そうすると、みんなすぐ俯く。

それは恥ずかしさからなのか、それとも罪悪感からなのか、それとも単に目を合わせたくないからなのか。

そこまでは当然わからない。

けど自分の行為が善だと信じているのなら堂々としていればいいのに、それができない。

ということはどこかに後ろめたさみたいなものがあるのかもしれない。

やりたくてやったわけじゃないのかもしれない。

そう信じないと生きていくのが辛いような気がする。


そしてまた今日も窓の外の都会の景色に目をやる。


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