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この世は地獄、子供について
わたしは子供を作らないだろうな、と思ってる
みたいな話を、誰のためでもなくても何か書いておきたいなと思っていて
noteを始める前から、ずっとなんとなく思ってて、だけどなかなか文章になってくれない
何度も書きかけては形にならず
他の話に持っていかれたり、あるいは記事ごと消したりして
なんか変な感じになりそうで いつもうまく言えない
今日のこれも、ふと思い立って書いているけれど書けるかわからない
こども、
わたしは、むかし子供でした。みんな子供でした。
わたしはいつからか「大人」になったけれど、子供の部分は完全には消えていなくて、境目なんかなかったんだなってことを、大人になった部分で知ったけれど
その大人のわたしは「なんでわたしは生まれなきゃいけなかったんだ」なんてことを、まだわかんないで生きている
子供のことは嫌いじゃないけど
かわいいとは思う
もし子供がいたら、と想像してみたことも少しだけあるけど
もし自分が母となって、子供に
「なんで産んだの」と言われたら、なんて言えばいいのか
なんの言い訳もできないだろう
わたしが子供だとして
「何何だから、生まれたのよ」って言われたなら、なんて言われようとももしも理由があったら?理由がなかったら
そんなことのために
生きるなんていう、苦しくて怖くて不安なところに放り出されたのかと絶望してしまいそうだ
普通に、自分に子供がまともに育てられると思えない、自分のこともままならないのに!
しかも責任は持たされるけど「他人」なんだよね。ごちゃごちゃになってしまいそう。なんて不思議で複雑なんだ
親と子というもの
もしわたしの子供が生まれたとして、そいつが「生まれてよかった〜〜」と思うかもしれない可能性もあるけど
「賭け」すぎる。素質がそうだったとしても、育ちの段階で変わるかもしれない。もうわけわからない
そのようにして人類が繁栄したのだからと、あたりまえのように、
少し前までは、親族やよく知らん人にまで「早く子供作らないと」なんて言われてたらしいですね。怖すぎる
かなり大げさに言って人類が滅びようが、とりあえずわたしはあらゆる責任を負えないので、生まないと思う
生まないという形も「わたしなりのその子への愛です」と言ったら、傲慢でしょうか
生きていて、いっぱい、地獄ってここの世界のことなんじゃないのかって思ったこと何度もあった
もちろん良いこともあったけど、それで相殺されるほどの良いことなんてそんなになくて、こんなもんかぁって感じ
「死」は誰にもわからない謎の終わり、そして生きている全員にいつか(明日かもしれない)やってくる。
そんな爆弾を抱えながら、その他にも人それぞれの色んな爆弾をかかえて、死の爆弾はとりあえず置いといてる形で、毎日明日のために生きてるこの世界だ。
それでも、わたしは生まれたのだ
どうしようもなく存在してる
今いるここからたくさん呼吸をする必要があって
いろんなことを考えて、わからなくても何も変わらなくても、進まないと思っても
だめになった、と思ってしまう時があっても
地味にでいいから諦めてしまわないで
自分が納得できる形の「生まれてきてよかった」が喉から手が出るほど欲しい
他人に言ってほしかった言葉も、言われてみたらなんだか虚しいので
自分で腹の底から納得したい
腹の底からだ