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The Lennon and McCartney Songbook

英ラジオ放送局BBCが、100周年を記念して期間限定公開しているアーカイブ番組として、1966年8月29日(キャンドルスティックでのラストコンサートの日!)に放送された「The Lennon and McCartney Songbook」が10月30日にBBC SOUNDSで公開されました。

ジョンとポールに作曲背景を聴きながら進められるこの番組は、1966年8月6日に、ロンドンセントジョンズウッドのポールの自宅にジョンレノンとインタビュアーを招き収録されています。リボルバーレコーディング直後であり、最後のUSツアー直前の時期にあたる、レノンマッカートニーに最も脂が乗っていた時期、或いはソングライターとしてポールがジョンを追い越し始めた時期の貴重な証言ではないでしょうか。

ビートルズ解散後、2人は節々で自曲の制作背景を語っていますが、現役時代にソングライターとしての評価を受けながらの証言は非常に興味深く、またちょっとしたやりとりに2人の「共作」のバランスを聴いてとれます。

音源の公開は期間が限られているので、可能な限りここにやり取りの全貌を残しつつのちの言動を考えてみたいと思います。
※例によって(?)ジョンの流れるような喋り方はノンネイティブには非常に聞き取りづらいので、訂正追記などありましたら是非ご協力お願いします🥺


Q:2人の楽曲は既に300以上のカバーがだされているけど、腹が立ったものはある?
P:いやないね
J:まったくないよ
P:誰がやってくれてても、みんないいカバーだ。みんな違うし、大抵は僕ら自身のよりいい。
Q:本当にそう思ってる?
P:うんかなり。
J:僕はそこは同意しないぜ。全部が僕らより言い訳じゃない。
P:笑。ジョンは同意しないってさ。
J:むしろ逆だと思ってるよ。それでもみんないい作品だけどね。
Q:ペギーリーみたいなソロスタイルもいいと思う?
P:うん、僕が言いたかったのはそういうこと。別にみんなが僕らより「イイ」ってわけじゃなくて…
J:なら僕も賛成だよポール
P:笑。アレンジが違えば、その違いがまたいいと思う。

インタビューの主導を握りつつジョンの意見を注意深く取り込むポールと、少し引きながらも自分の意見をぶつけてくるジョン、ただし最終的にポールのフォローをする2人のやりとりが微笑ましい。
まさに当時の共作の進め方を表すかのような冒頭のやりとり。


Q:頭に浮かべる尊敬するソングライターといえば?
P:うん、いっぱいいるよ。例えば、やっぱりゴフィン&キングかな。ある意味なりたかった存在だし、もともと目指していたところだし。あの頃ビッグヒットは2人の作品だった。
J:うん、それにいい曲ばかりだ。
P:商業的にも売れてるし、歌いやすいし、、
J:そして酷くない。
 いつも僕らのシステムでどっちがキャロルになるか決めようとしてたよな。
Q:独立して書こうと思ったことはある?それともお互いが必要?
J:いや絶対に必要なわけじゃないけど、とても助けになる。
P:うん、それぞれでも書けるけど、どちらかが良くない、陳腐なバースを書いてたら、、例えば僕がそんなのを書いててジョンに向かって歌えば、彼は「おいそのバース酷いし、こっちのバースはクソだぞ」って言ってくれる。
J:それに曲を仕上げるのに、お互いの力添えが必要だね。特に僕は曲を最後まで書き切るエネルギーがないから、お互い歌いあえば楽に曲を仕上げられる。1人でもできるけどこの方がいいね。
Q:2人はどちらかというと似ている?それともかなり違う?
P:僕らはほぼそっくりだけど、同時に全く違うね。

レノンマッカートニースタイルをあまりにも率直に語る2人。
ポールは「アイソーハースタンディングゼア」や「ドライブマイカー」で、酷い歌詞をジョンに直してもらったエピソードをよくネタにしますが、この時から意識があったみたい。
ジョンの「曲を書き切れない」エピソードもデモテープや歌詞の変遷からよく読み取れるところ。つい先日公開されて世界を驚かせた「イエローサブマリン」の元アイディアや、「インマイライフ」の歌詞の移り変わり、「トゥモローネバーノウズ」や「ストロベリーフィールズフォーエバー」のアレンジの終着点はポールなしに遂げられなかったものなのだろうなあと思わされます。(後に本人が気に入らなくなったとしても、、、)

そしてインタビュアーとポールの最後の何気ないやりとりがとても興味深い!
ってか「ヒアトゥデイ」で「we were world’s apart」って書いておきながら「何を言いたかったのかわからないけど、僕らは似てた」って言っちゃう今のポールを一言でまとめてていい。つまり外から見ると双子のような共作者でありながら、中身が正反対な2人の関係性を率直に語っている気がします。


J:初期はもっとみんなに向かって曲を書いてた。
Q:「ウェイト」は誰か特定の人に宛てて書かれた曲?
J:ちがうよ


Q:「アンドアイラブハー」「イフアイフェル」「ミシェル」みたいな曲は、特定のムードで書くような曲?ナイトワーカーかい?
J:いいや、いつでも書けるよ、起き抜けでも。まあ半分寝てるような早朝じゃなければ。疲れてなければ時間は関係ない、気分が良ければいいんだ。
Q:曲を書くのはギター?ピアノ?
P:なんでも。ピアノでもギターでも、大体そのくらいだけど、特に制限はない。
J:曲を書くだけのコードを知ってればそれで十分。

このやりとりの背景で、別室にいるマーサが吠え出し、ポールが声真似をする。
「生後7ヶ月のイングリッシュシープドッグでね、BBCの収録に慣れてないんだ」と駄弁るポールに時代というか1966年のポール宅なんだーって実感しちゃいます。


Q:どの曲が1番カバーされてると思う?
J:「アイウォナホールドユアハンド」「シーラブズユー」「オールマイラビング」?
P:「キャントバイミーラブ」とか?
Q:同じような雰囲気のカバーはつまらない?
P:いやさっきも言ったように、違うアレンジをしてる方が面白いしいいと思う。同じアレンジをするのもいいけどよくはならないと思うよだって、、
J:ねえ
P:ジョンを超えられないだろ?
J:まあ僕らの売上に害を与えるわけじゃないしいいけど

同じアレンジでは「オリジナルを超えられない」と言いたいところを、「ジョンを超えられない」という事実のようなジョークのような言葉に収めたポールさん。


Q:「ミシェル」をシングルにしなかったのは?
P:いろんな人に言われたけど、シングルにしたいと思わなかったから。シングルにはテンポの速い曲をもっていく習慣がある。「ミシェル」を僕らを代表するシングルにしたいとは思わなかったんだ。


Q:ジョン、ポールと曲を書きながらビートルズを始めた時、バンドが成功するというゴールを描いてた?作曲が重要だと思ってた?
J:バンドが最重要だった。とにかくレコードを売ることが大事だと思ってたし、バンドに集中してたよ。
Q:作曲家としても成功していると意識したのはいつ?
J:特に意識した時期は覚えてないな。

「僕は覚えてるよ」と茶化したツッコミを入れるポールに、「ああ作曲手法を打ち立てた時だ」と誰だかわからない声真似で返すジョン。ザ・2人の世界。
「プールを作るための曲を書こう」と「エイトディズアウィーク」を書いたあたりがそのポイントなのかな。


Q:片方がもう片方をまってなきゃいけないような時もある?
J:まあ滅多にないね。もしあれば一服でもしてるよ。
P:あるとすれば、LPとか映画用に書かなきゃいけない時だね。前のアルバムを出した後はそんなに書かないし、あっても1、2曲だから。
Q:LP用に12曲を揃えなきゃいけないって大変じゃない?
J:本当だよ。特に直近のヤツは大変だった。なんでだろう、休暇モードだったからかな。
P:本当だよね、太陽をいっぱい浴びて、そんな雰囲気じゃなかった。
J:庭で描いても、花とか木とかそんなのがいっぱいだ。

ジョンがここでいう「直近のアルバム」は「リボルバー」のことだと思うのだけど、この辺りからジョンの創作意欲というか能力なのかが落ちていく様がリアルに聞いてとれます。

「メニーイヤーズフロムナウ」や「ザリリックス」でのポールの言を信じるならば、「リボルバー」期の多くの曲は、ポールがセントジョンズウッドの自宅からジョンのウェイブリッジの自宅に出向き、ゆっくり起きてくるジョンを待って曲を作り上げることが多かった模様。その中でポールは「ヒアゼアアンドエヴリホェア」「グッドデイサンシャイン」「ゴットトゥゲットユーイントューマイライフ」といった曲を書き、ジョンは「アイムオンリースリーピング」「ドクターロバート」と言った曲を書いていますが、2人の当時のムードというかモチベーションの違いが表れている気がします。

Q:作曲家になる時、特別な才能が必要だと思う?必要なのは想像力?集中力?
P:いや単純に曲を書く力の問題で、それ以上でも以下でもないと思う。僕らは別々に書き始めた。ジョンは自分で曲を書いてて、僕もそんな感じだった、それから一緒に書き始めた。
ジョージは当初、僕ら2人が書くからいいと思ってたと思うんだ。だからやらなかった。リンゴはいまもそ考えてると思うよ。僕は誰でも曲は書けると思ってる。ジョージは前よりずっといい曲を書くようになっただろ。でも昔は書けないと思ってた。
Q:ジョン、練習するのは容易かい?
J:ただ書き続けることだよ。何か出来あがろうとそうでなかろうと。はじめはハードルを上げずにとにかく書くんだ。
僕らはただギターしか弾けなかったから、とにかく覚えやすくしようと思ってた。みんなそうだと思ってたし。


Q:ポップソングの歌詞を使い飽きた?
J:使うことに支障はないけど、ブルーとかユーとかは特に初期に使いまくってるからね。
P:聞き飽きてるかもしれないけど、韻を踏むにはユーとかは必要だし
J:あとディとか
P:うんディとか
J:でもみんなが使う言葉を使うから同じ言葉になることもあるよ。「朝起きて」って言いたかったら「朝起きて」って書くし、「おやすみ」や「こんにちは」にしても一緒だ。

ジョンがまさにここで喋っている「おやすみ(グッドナイト)」や「こんにちは(ハロー)」が後にそのまま「グッドナイト」「ハローグッバイ」という曲になっているし、「朝起きて〜」というフレーズは最後のソロアルバム「アイムステッピングアウト」の冒頭に出てきたり、ジョンの歌詞に対する普遍性がうかがえてとっても面白いです。


Q:イエスタデイのアレンジは衝撃だったと思うけど、そこから使う楽器も変わっている。イエスタデイでうまく行ったことが後のアレンジに影響している?
P:イエスタデイをああしたのは、バンドで出来ることが限られてるからだ。バンド形態では「ディスボーイ」や「イフアイフェル」でベストを尽くしてた。イエスタデイをただ同じアレンジにすることは誰も考えていなかったと思うよ。

Q:作曲に関して将来構想はある?
P:特に予定はないよ。いろんなことに興味はあるけど、ただよりいい曲を書くだけ、書き続けるだけだ。
Q:1960年代後半に入っていくけど、時代に即していくのかな?
P:もちろん今ここにいるからね。ただかつてバブルが弾けたらとか、アイディアが枯渇したらって心配されたけど、そんなことはなさそうだし、もっといい曲を書けると思ってる。だから特に心配してないよ。
Q:レトロな曲を作り上げるとかは?
P:ないね。もっと歳をとったら過去にやったことを引っ張るかもしれないけど、全然売れないだろうし。
Q:今日はありがとう
P:イヌの声とか、時計の針の音とかいっぱいでごめんね、また来てね
Q:ジョンもありがとう
J:どういたしまして

イエスタデイのアレンジや、将来構想については無口なジョン。収録に飽きてきたのか、アイディアは枯渇しないと言い切るポールと違う想いがあったのか。過去のような曲をやるかやらないかも含めて、ジョンとポールの距離感が開いていくことが予見されるような最後のやりとり、と聞いてしまうのは考えすぎでしょうか。

でも実際、ポールが70代になっても、過去に帰るというよりは現在または最先端を走るポップソングを作ろうとしているのに対し、ジョンは40代になった時、最新技術を使いつつも50年代ロックンロールの要素を取り込もうとしてたような気がします。

その上で普遍的な音楽を作っている2人なので、どちらが良い悪いではないのですが。1966年というアイドル最高潮と思われていた時代のインタビューでありながら、ソングライターレノンマッカートニーがとてもよく表されている番組だなあと思いました。


ちなみにこのラジオ番組が収録される約半年前、1965年12月にはグラナダTVで「The Music of Lennon and McCartney」なる番組が制作されています。

アイドル全盛期からの、ソングライターとしての評価、カバー曲の多さに改めて驚かされるレノンマッカートニーでした。


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