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Get Backが覆した5つの定説

ルーフトップライブ53周年記念!新ドキュメンタリーGet Backが覆した「定説」

ドキュメンタリーの冒頭で繰り返される通り、Get Backは約60時間に及ぶ映像から8時間を編集して作られています。80分の映画Let It Beと同じく、8時間のGet Backにも、監督ピータージャクソンの解釈に基づいた編集が施されています。(特に、定説を覆す場面には多くの時間が割かれている気がします) だから、Get Backが「真実」とは限りません。でも根拠が曖昧な定説に数石を投じてくれたそのいくつかをまとめてみました。

定説1.GBセッションはメンバーの関係が拗れていた

ゲットバックセッションでバンドは空中分解しかけた、けれどもう一度力を合わせてアビーロードを仕上げた、これが後年からみたビートルズ史でした。ビートルズAnthologyシリーズでもこの時期の象徴としてセッション中のポールとジョージの口論シーンが使われおり、苦痛ばかりのセッションだったかのような印象す。

しかーしGet Backでは、それまでと変わらず深い絆で結ばれていたビートルズがみられます。セッションはたくさんの笑顔が溢れてます。ギャグを飛ばし合い、ゲキを掛け合い、瞬時にジャムセッションをし、むかし話を笑い合う、唯一無二の仲間たち。曲のアレンジも、ドキュメンタリーの意義も、ライブの場所も、撮影セットも、4人が意志を持ってアイディアを出しあう姿に圧倒されます。

とくに、外部の人との会話と仲間内の会話の違いをみると、メンバー同士がいかに親密な仲だったかが伝わってきます。監督マイケルやプロデューサーグリンへの扱い、セッションに立ち寄ったディックジェイムズやピーターセラーズとの会話の距離感、居心地の悪さといったら!!

解散に近づいている頃ですら、これだけのアイディアとパッションをもって創作をしていたこと、やっぱりビートルズは唯一無二だなあと思わされます。

定説2.ジョージ脱退の原因は、ポールとの口論

映画Let It Beで象徴的に描かれている、ポールとジョージの口論、からのジョージ脱退。でもなんと、口論と脱退は別の日でした!!

ポールとジョージの口論はセッション3日目1月6日のこと。Two Of Usのギターアレンジをめぐってポールとジョージの意見が食い違い「君が望むなら僕は弾かない」と吐き捨てるジョージ。でも実は、その前に「カメラの前じゃ言えない」と半ギレで立ち上がったのはポール。ジョージはといえば、口論の後も同じ曲のアレンジを考え続けようとしていました。つまり口論は、アレンジに関する意見のすれ違いで、もう少し深く読み取ればポールとジョージの音楽感・コンポーザーレベルの違いではあるものの、セッションの流れの中の一部にすぎず、ジョージの脱退に直結する事件ではなかったのです。

一方ジョージが「バンドを抜ける」と言って帰ってしまったのは、セッション6日目の1月10日のこと。レノンマッカートニーの権利を管理するディックジェイムズがセッションに立ち寄り、ジョージはニールアスピノールと前向きな話があるといい、オリジナル曲のアレンジを精力的に模索する午前のセッション後、急遽ジョージは「バンドを抜ける」と言い出し、本当に帰ってしまいました。

ジョージの「僕抜けるよ」という発言に、「いつ?」と返すジョンの呑気さに、ジョージ脱退の唐突感が表れています。

この日のセッション中、ジョージの表情や行動に曇りがあり、ポールは再びアレンジを押し付けているものの、「脱退」に繋がる決定的な事件はありません。ランチタイムにジョンとヨーコとケンカがあったという説もあるようですが、それも描かれていません。監督ピーターはポッドキャストインタビューでジョージの脱退の要因についてリンゴと意見が食い違ったと話しており、GetBackではジョージ脱退の真相は謎のままとなってます。

定説3.ビートルズ解散の原因はオノヨーコ

ゲットバックセッションで常にジョンの隣に座り、時には意味不明な叫び声でセッションを独占し、あまつさえジョージの定位置に座ったりと、映画LetItBeでビートルズ解散の一因として描かれたヨーコ。メディア報道は元より、この映画が解散の原因はヨーコと印象付けたことも大きかったはずです。

GetBackでは、ヨーコが仕切るような場面は全くなし。常にジョンの隣に陣取る不自然さは残るものの、手持ち無沙汰に本を読んだり、編み物をしたり、習字を始めたりする姿に、ジョンの希望でそこに居させられたんだろうなという様子が伺えます。曲のアレンジや演奏にも全く口出しすることなく、叫び声のセッションはジョージの脱退時などビートルズとしてのセッションが成立していない時だけ。ビートルズがやりたいことをやるべきという意見はどんな取り巻き連中より真っ当だし、ポールに「また袋の中に入ってこいよ」と揶揄われて「もうやらない」と返す微笑ましいやりとりも。

ビートルズという存在が巨大化する中で、ジョンがなぜヨーコに惹かれたのかわかるような気がしました。

定説4.ビリープレストンはジョージが連れてきた

ぐだぐだセッションに嫌気がさしたジョージが、メンバーのお行儀をよくするためにビリープレストンをセッションに招いたというのが定説。

が、ビリープレストンはたまたま別のTV番組出演のためにロンドンにいて、挨拶にセッションに寄ったら、「5人目の奏者」を求めていたビートルズにガッチリあっちゃって、そのままセッションに居座ることになった。というのが事実のようです。

ビリーの登場に関してGetBackでは様々な伏線が張られています。バンド編成の音の薄さを気にしたジョンが「オルガン1人加える?」と言ったり(ポールは「ニッキーホプキンス?」と推すけど)、ジョージがビリーの演奏を見てきた話をしたり、そして満を持してのビリー登場。ジョージが裏で誘ってたのかもしれないし、アップルレーベルからデビューすることになったビリーに「ビートルズとレコーディングをした」という拍をつけようとしたのかもしれない。

いずれにしろ、ビリーの登場は偶然でありながらあたかも必然だったかのようにセッションに不可欠な存在となったのでした。そしてビリー登場後もぐだぐだセッションは続くので、バンドへのカンフル剤というよりは、ジョージ個人の癒しになってたのかもしれません。

定説5.トゥイッケナムも屋上も極寒だった

トゥイッケナムスタジオが極寒で暗くて環境が悪かった、というのは後のジョージの発言だったように思いますが。。初日冒頭のセッションこそコートを着ながら演奏しているものの、次第にコートは脱いで、なんなら半袖でセッションを続けるメンバーたち。トゥイッケナムの問題は寒さよりも、広さゆえの音響の悪さであることがGetBackでは日々語られています。

アビーロードのスタジオ2ですら、角っこにかたまってセッションをしていたビートルズ。後半セッションを行う自作Appleスタジオの狭さを考えても、距離感近くエコーが効きやすい場所が好きだったんでしょうね。

そしてセッションを締めくくるルーフトップライブ!1969年の1月末、ロンドンアップル本社の屋上で行われたこのライブは、急遽決定したためメンバーたちはそれぞれ奥さんのコートを借りてライブを行った、と語られてきました。

が、ジョンとジョージは、セッション初日から同じコート着てます。スタジオに着いた時、帰る時、毎日同じコート羽織ってます。ずっとイスなりハンガーなりにかかってます。リンゴのエナメルコートもサイズぴったりで、屋上ライブの時モーリンは自分のコート着てるし、ライブ後地下で音源を聞き直してる時も着たまま。ポールに至ってはコートを着ないままビートルズの正装スーツ姿でプレイ。奥さんのコートを借りたって、どこから出てきた話だったんでしょうか(笑)


というわけで、GetBackが覆したビートルズヒストリーの定説5つをまとめてみました。長いファンの方、ブートレッガーな方々にはGetBack観る前からわかってるよ!ってネタばかりだと思いますが、裏付け映像つきだとやっぱり印象が違います。
ここには書ききれないくらい新発見ネタ満載のドキュメンタリー、何度見返しても飽きませんっ🍏

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