2023 17歳
16歳の私がたてた「今年の目標」
「たくさん遊ぶこと」と
「合わせる努力をすること」
一度何かの拍子に言ったことがあると思うが2022年の私は暗い部分が多かったと思う。
毎晩一人で今日の出来事を振り返っては自分のダメな所に失望して泣く夜を何度も過ごした。
そんな私が立てた2023の目標がこれだ。
少し余談を挟むが、このnoteの写真に使っているゴーカートの写真は、ホシくんのインスタからとってきたものである。この写真のホシくん、凄く無邪気に笑っていて、帽子を被っているせいかヘルメットが斜めになっているのもなんだかヤンチャっぽくて可愛くて、少し烏滸がましいけど2023年の私みたいでいいなと思ったから使わせてもらった。楽しそうに笑うホシくんが大好きなので。
少し話がズレたので本題に戻ろう。
私は人と一緒にいることが好きで人と話すのが大好きで、ふざけ合うことも馬鹿なことをやって笑い合うことも大好きである。友達が笑ってくれることが好きなので変にふざけたり笑わかしたりもするし、まぁよく喋る人間でもある。その一方で一人の時間が持てないと乱れたり疲れたり、逆に一人になった途端悲しくなったりしてしまう。大好きな友達と一緒に居るのは楽しくていつでも心が満たされる。
こんなことを言っては何だが、元々協調性はある方だと思う。他人への考慮を怠らないという意味でも相手に「合わせる」というのをモットーにしていたが、合わせるというよりお互いに「合わせていく」ような関係性を人と持てていた一年だったような気がする。
生活面としては今までにないほど遊び呆けていたと思う。一年生の時には毎日毎日学校が終われば家に直行していたのが、二年に上がってから毎月放課後どこかへ出かけたりご飯を食べに行ったりと、一般的なJKを楽しんだわけである。まぁそんなこんなで高二が楽しいって本当だったんだ、なんて思ったりもした。
2023年は私にとってたくさんの出来事があった一年だった。初めてSEVENTEENに会えて、初めてSNS上で知り合った人達にも会った。人としてCARATとしての繋がりを持ってくれて、CARATとしての私を見てくれる人達と出逢えた。怖かった繋がりを大好きに変えてくれた人達。SEVENTEENが繋げてくれたたくさんの糸。人ってこんなに幸せな気持ちになれるんだと初めて実感することができた。
私は、普段の私とCARATとしての私とをかなりきっちり分けている方だと思う。分けているというより分けることでしか私自身の基盤が成り立たないというかなんというか…そこら辺は少し曖昧なのだが。
仲の良い子にしか私がCARATであること、ホシくんが好きであることは話していなかったのだが、何かの拍子にクラス全体に知れ渡ってしまったのが今年の話。12月、学期末に行われたクラスマッチにてクラス全員がホランへポーズでクラス写真を撮るというなんとも奇妙な出来事も起こり、その中にいる私はそれはもうめちゃくちゃ満面の笑みを零していて思わず笑ってしまったくらいだ。
4月のことを鮮明に思い出すことは出来ないが、初めてSEVENTEENに会えた5月17日のFANMEATING LOVEのことは今でも思い出せる。初めてのSEVENTEEN、初めての会場、会う約束をしていたCARATは誰一人いなくて一人で会場全体を回って一人でドキドキを感じていたあの日から、Followドームツアーでは初めてCARATと会えて一緒にご飯を食べて感想を述べあったりと、今までなら考えられなかったことを経験した。
成長と呼べるかはわからないけど、私も誰かと感情を共有できるまでになったんだなと思った。
10月からはとにかく忙しくて、起きて学校に行って帰ったらバイトに行ってそれ以外の日は学校に残るの繰り返しで、Twitterを除くこともweverseを見ることも怠るような日が続いていた。正直言うと、12月の京セラまでは何かと予定が詰まっていて、楽しみにしていたカムバすら満足に迎えられず、とにかく自分のことだけで精一杯だった。私は物事に意味を付けることが好きなので、17歳を迎えた日にMAMAで大賞を受賞したSEVENTEENさんを観てボロ泣きしたし、テスト前日にも関わらず翌日のライビュに行って、終わったあとには一人でセブンティーンアイスを食べて17歳おめでとう〜!したり、帰ってからもテスト勉強なんて一切手につかずに結局夜中の3時手前になって勉強を始めたり、17歳になれたことがただ嬉しくて学校ではセブンティーン!!ってみんなに祝われたことが嬉しかったりもした。17歳になったからって別に何も変わりはしないのに17っていうその数字だけでこれからの一年が楽しく思えてしまって、そう思わせてくれたSEVENTEENのことが有難くて、大事にできる日が一つずつ増えていることが嬉しかった。
毎日楽しいことばかりではなかったし、自己嫌悪が激しい私は苦しかった日もかなり多かったが、今年もなんとか一年過ごすことが出来たと思う。
新しい年を迎えることに若干の寂しさを感じるものの、また一年をこうして大好きな人達と迎えられるのは妙な心地良さもあったりするものだ。次はどんな一年になるか少し楽しみでもあり、私の人生の分岐点に立つこの一年が怖くもあるが、今できる最善を尽くして一生懸命生きてみようと思う。
10代の半分をSEVENTEENと過ごしているのがなんだか不思議な感じもするけれど、それだけ私にとって大きな存在であってくれるのは紛れもない事実で、この先ずっと変わらないことなんだと思うと嬉しいな。
大好きな気持ちも、大切にしたい自分自身の何かも、守りたいと思える感情も、好きを貫ける姿勢も、全部SEVENTEENに出逢っていなければなかったことだから、どんな些細な出来事でもその一つ一つが私にとって大事なもので何ひとつとして取り零すことのないように、その全部を両手で抱きしめていたい。
これは私がホシくんのセンイルnoteで書いた一部である。何度読み返してみても、本当にその通りで、あの日私たちのことを奇跡だと言ってくれたホシくんのことが忘れられなくて、転がっていた奇跡の糸をお互いに手繰り寄せてできたこの関係が嬉しくて。奇跡のような必然的なような関係に、CARATと名前をくれた事がずっとずっと嬉しいんだ。こうしてまたCARATとしての一年が終わって、また新たにCARATとしての一年が始まる。当たり前じゃない当たり前が、少しの変化と感情の持ち方で全く違うものになるのだから、そうさせてくれるSEVENTEENは偉大なんだろう。
何だかんだで結局後半はホシくんの話になっちゃった。でもそれでいい、それがいいのかもしれない。
CARATの私と私生活の私を分けていると話したけれど、根本的なものは一緒なんだろう。ホシくんがいて、私自身に影響を与えていてそれが良い方向へと変わっているということだろうから。私にとっての良い影響に必ずホシくんがいるということなんだろう。
いつもnoteの終わり方が雑で申し訳ないけど、2024年も変わらず大好きな人達と大切な一年になったらいいな。そしたら私も、少しずつ自分を大切にできるようになれたらいい。毎日幸せとはいかなくても、些細なことで幸せを感じられるくらい純粋に過ごせる日が多くあってほしい。SEVENTEENにも、大好きなCARATにも、それから私にも。
みんなにとって、辛い日よりも嬉しい日が、涙の日よりも笑顔の日が、少しでもありますように。