「花になる feat.花隈千冬」ができるまで(追記あり)
作曲のきっかけ
ある時、youtubeでプロのピアニストさんが「ティファニーで朝食を」のテーマ曲「MOON RIVER」をアレンジした動画を観たのがきっかけです。
実際の曲作りでは、「闇の感情」と、逆の「温かくひたむきな気持ち」、また「泥臭さ」と「美しい」という感情が入れ替わり立ち代わり出てくるような構成にしました。
歌詞作成をJille.さんに投げる
9月5日から制作を始め、曲は少しずつ出来ていきますが、作詞のところでアイデアというか言葉がどうしても出てきません。
歌詞は自分の言葉で紡ぎたいと、これまで思ってきましたが10月に入っても言葉が出てこないのでJille.さんに(ココナラを使用して)泣きついたのでした。
Synthesizer_Vの機能をフル活用しました
Synthesizer V(Studio Pro)のすべての機能についてパラメーターから何から何まで徹底的に勉強し、それを活かしました。
花隈千冬さんのボイスはAI機能が使用できましたが、AI機能をフルで使うとなんか
「こんなに委縮したかわいそうな、しかも演歌風になってる千冬ちゃんはいやだーww」と思いましたのでAI機能は1/100しか反映させていません。
その上で一音一音、丁寧にパラメーターやピッチのベジェ曲線を修正していきました。かなりそれに時間を要しました。
Synthesizer Vは表現したいことがかなり可能になるようにイジれるので、本当によくできた優れものだと思います。
優しい花隈千冬さんの声
花隈千冬さんが発売したのが10月20でパッケージ版を予約し購入しました。ウィスパー系の優しい声が好きなのと、今回のタイトルにもあるように
「花」がメインになっているので決めました。
千冬ちゃんの声の質感については、元の声が奇麗なのでイコライジングをあまりせず、年齢もトーンもなるべくデフォルトを心掛けました。
ただ、心情を吐露したり叫ぶようなところ、逆に優しく囁く感じとか、この曲では感情のアップダウンがあるので、その部分はオートメーションで丁寧に色付けしていきました。
また、声にツヤを出すためにサチュレーターをかけたり、サビのコーラス部の音の重ね具合(エフェクト)やリバーブのかけ方については和田貴史先生やSLEEP FLEAKSさんの動画を見て徹底的に勉強しました。
こんな素敵な詞を無駄にしてはいけない
楽曲と一枚絵の投稿動画では、たぶん埋もれてしまうのは容易に想像できました。jille.さんの名にかけても埋もれさせてはいけないと思い、
動画も頑張ることにしました。そこでMMDのチャレンジです。
花隈千冬さんの公式ページにはMMDモデルが配布されています。
MMDは初心者なので取り掛かる時は制作よりもっぱら勉強ばかりしていました(youtubeで)。
ちなみにその時は仕事の繁忙期も手伝ってなかなか作業ができませんでしたが、
そこは捉え方次第ということで、仕事しながら動画のアイデアを組み立てたり膨らませることもできてよかったです。
MMDの世界も映像や動画編集の世界も奥が深いもので、本当に毎日勉強ばかりしていました。
それは苦痛ではなく勉強していること自体が楽しいので全く苦にならないというか、とにかく楽しかったです。
最後に
メイちゃんP改めkohagura_kとしての初めての曲になります。
制作期間は3か月でも、仕事・家事などをしながらですのでフルに時間が使えたわけではありません。トータルではそんなに時間はかかっていないように思います。コツコツ続けるというのが私の得意分野なので。
ただ、量よりは質を心掛けていますので「聴いていただける方のために作る」をモットーにこれからも頑張ります。
読んでいただきましてありがとうございました(=´Д`=)
追記:歌詞についての考察 12/10
jille.さんとココナラ上で当時、メッセージをやり取りしさせていただいた中で、それを踏まえて歌詞の重要な部分を自分なりに解釈してみました。
「この広すぎる世界」
グローバル経済、ネット技術の発達で世界はどんどん小さくなっていく感覚とは真逆で、
ここでは人の性格、環境、思考のすべてを空間として捉えた場合、世界人口80億人、日本だけで1億人以上という無限に広がっている「空間」があります。
または無数に広がるネットワーク空間やwebとも捉えられると思いました。
色んな職業や学校、家庭の環境、容姿、年齢、趣味・嗜好、思想や信条など、どれ一つとして同一のものがありません。
そんな人と人とが奇跡的に惹かれあい、出会い、友情が生まれ、愛し、絆を深めたり人によっては人生を共にしたりします。
「甘い眠りだって いつか醒めてゆく」
でも、どれだけ心と心が打ち解けあっても絆を強くして愛し合っても、それは永遠に続くものではないということ。いつか思いもつかない出来事で人と人とが離れていくのが諸行無常の世の常。
結局、物事の終わりには何一つ残っていない。それが「でも何もない未来」という言葉になっていると感じました。
其の上で、だからこそ身近にいる人が自分を「見つけてくれた」。
それはもう感謝の念を抱かずにはいられなくなると…。
当たり前のように愛する人や家族と過ごす。それは間違いなく当たり前ではないのだと、そう思いました。
jille.さん曰く「永遠なんてないから、自分を見つけてくれた人に感謝」と仰っていました。
そんな誰もが一度は感じたことだと思うような普遍的な要素を、この詞には含まれているのがとても素敵だなと思います。
そんな風に思えた珠玉の歌詞でした。この共感は、↑でも触れたように、これはもう全力で動画を作るしかないと。
長文すみませんでした。読んでいただいてありがとうございます(=´Д`=)