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「頑ななご家族」と言われがちな立場から、医療職にお願いしたいこと

地域医療ジャーナル 2021年10月号 vol.7(10)
記者:spitzibara
医療にウルサイ「重い障害のある子どもを持つ母親」

 先月号のyktyyさんの記事「『こだわりの強い患者』という表現への違和感」を読んで、「頑ななご家族」が関わる興味深い事例を思い出したので、今月はそれについて書いてみようと思います。

 2019年に上梓した拙著『殺す親 殺させられる親 重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(生活書院)の中で簡単に紹介している事例です。本の記述の中には出てきませんが、某学会で発表された事例について関係者にお話をうかがった際に出てきたのが、「頑ななご家族」という表現だったのです。

 私も親の立場から登壇した、意思決定のジレンマをテーマにしたシンポで、重症児者施設の施設長である小児神経科医A先生が紹介された症例でした。

 重症心身障害があり施設で暮らしている40代の女性が、横隔膜ヘルニアで気管が狭まって食事の時に頻繁にチアノーゼを起こしているが、23年前の手術で大変な思いをした家族がもう手術はこりごりだと拒否したために、本人は食事のたびに窒息するほどの苦しみを味わい続けている――。医療をめぐる意思決定をはさんで医療サイドと家族の意見が対立することは多いが、家族が本人の最善の利益に反する判断をしている場合にどのように対応すべきか、という文脈で取り上げられた事例の一つでした。

 私自身、かつて娘の手術の際に、担当医師の障害に対する偏見から術後の痛みの管理をおざなりにされた体験がトラウマになっているので、ご家族の手術に対する抵抗感は理解できました。それでも、娘が食事のたびに窒息するような苦しみ方をしているとしたら……と考えると、それ自体とうてい耐えられることではなく、そのご家族の判断は私にも理解できない、と思いました。

 医療サイドが本人の最善の利益にかなった医学的「正解」を提示しているのに、それを拒否して、あたら助かる命を見殺しにするのが家族なのか……とすら思えたし、手術のトラウマを抱えている親の一人として、この先、同様の決断を迫られるリアルな可能性を考え、慄然としました。

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