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コロナ禍での「面会禁止」のエビデンスは?~素人目線からのギモン

地域医療ジャーナル 2021年4月号 vol.7(4)
記者:spitzibara
医療にウルサイ「重い障害のある子どもを持つ母親」

 2月号、3月号に引き続き、コロナ禍での病院や施設における「面会禁止/制限」をテーマにした記事となります。この間、「面会禁止/制限」の問題がspitzibaraの頭の真ん中にどっかりと居座り続けているもので、読者の皆さんにはお付き合いいただく格好となり、申し訳ありません。

 なにしろ、重い障害があって、いわゆる重症児者施設で暮らす娘とまともに会えなくなって、もう1年以上が過ぎてしまいました。前に我が家に帰省したのは昨年3月の半ばでした。その後は、帰省も外出も禁止。面会は玄関脇のフリースペースをカーテンで囲って30分だけとなり、それがすぐに15分になり、その後3か月近くまったく面会できませんでした。

 でも、その頃はまだ私の気持ちは「仕方がない」とシンプルだったように思います。なにしろ世界中の誰にとっても未知の――したがって「訳の分からない」「恐ろしい」――新型ウイルスが蔓延してしまったのです。娘の施設に入り込んだら……と想像しただけで身震いします。普段から風邪をひいても酸素マスクが必要になりかねない奴なのですから、感染したらイチコロでは……。それに、日ごろから施設外の医療機関は決してWelcomeではなかったのに、万が一の時に新型コロナの指定病院は受け入れてくれるのか? 受け入れてもらったとしても、対感染症のみの医療で親が付き添えなければ、言葉を持たないこの子は一体どんな目にあうのか? さらに、さらに……もしかの時には面会もできないままの別れになるなんて、そんなの絶対に耐えられない! さまざまに理不尽な覚悟を突き付けられる気分でした。

 そんな悲痛な思いに比べれば、たちまち「会えない」辛さは、まだしも耐えられるものでした。面会制限がここまで長引くとも思っていなかったし、緊急事態宣言解除後は、状況に応じて細やかな検討を繰り返し、窓越し面会、30分の外出、アクリル板越しの面会と、療育園がギリギリの工夫を模索してくださることも慰めでした。

 一方、後に「権利」「人権」の問題として面会禁止について考え始めるきっかけとなった出来事は、第1波がようやく収まり始めた頃にありました。ある障害者施設の方とお話しした時のことです。


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