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エア出勤と睡眠(4月16日~22日)

4月16日(月)
午前中から図書館にいく。半分運動のつもりでランニングウェアに着替えて黒いリュックを背負う。
緑がまぶしく心地よい空気。小学校のそばを通ったら、給食室と思われる場所からいい匂いがした。

仕事から帰ってきたオットがふと「一日ひとりでいるってことは、俺以外と話してないってこと?」と言ったので、そうそう、あとはスーパーの店員さんからお釣りもらう時にお礼言うくらいかなというと「信じられない!」と新鮮な驚きを爆発させていた。
たしかに毎日たくさんの人の中で働き続けるオットからしたら、一日誰とも話さずに過ごしている私の生活は謎というか、一体どう過ごしているの?という感じなのかもしれない。

私の一日はとても単純だ。
決めているのは、余裕をもって仕事をすすめること(せっかちで心配性のため)、お昼以外はテレビをつけないこと(「徹子の部屋」は見たい)、毎日「エア出勤」をすること。
「エア出勤」と呼んでいるのは、オットの出勤時間に自分も身支度を整えて一緒に家をでること。駅でオットを見送ったらまた家に戻る。家と駅を往復しているだけなんだけど、これをすると、家に帰ってきた頃には自分も「仕事をはじめる」というモードに切り替わっているので、ほぼ毎日続けている。1年ちょっと在宅勤務を続けて築いたルール。

たくさんの人の中で働くよりも、今の生活の方が自分に合っている。外に出て消耗していた分も作業や家事に当てられるようになったのと、自分で決めたルールの中で動けるのとで、気持ちの面でもゆとりができた気がする。

こういう適性って、犬(人と過ごすのが好き)と猫(気ままが好き)みたいなものなのか。昔は犬のようなはつらつさと人懐っこさを身に着けようと頑張っていたけど、今はこの暮らし方が自然に感じる。でもあくまで「今」の話なので、先のことはわからない。たくさんの人のなかで仕事をするのが好きな自分にもいつかなってみたい。


4月17日(火)
午前中、友だちからの連絡でちょっとびっくりする出来事を知る。自分にそういうことが起こると思わなかったので、聞いた直後は体がジーンと麻痺して自分がこれについてどう感じているか、どう感じたらよいのかがしばらくよくわからなかった。
しばらく経って「やっぱりかなしい!」と気づくと同時に、かなしみやショックが足もとまで迫ってきた。でも結果的にはそれに浸からずに済んだ。

私が混乱している間、友だちは本気で怒ってくれていた。誰に対してでもなく、ただこういうことで私がくじけないように気持ちを表してくれた。
「自分でこんなことを言うのも」とためらう部分を先にその子がワーっと言ってくれたことで、私のショックやかなしみはしゅるしゅると縮んでいき、やがて見えなくなった。
友だちへの感謝と、ありがたさと、よくわからない気持ちの高ぶりが全部混ざって、手が震える。私はすぐ手が震える。
大切な人が傷つけられたとき、私も真っ先に怒れる人でありたい。

ひさしぶりにnoteで日記を更新する。


4月18日(水)
初めてnoteでサポートをいただいたことを知る。他の人にサポートを送ったことはあるけれど、誰かが自分にしてくれることを考えたことがなかったのでびっくりした。画面を二度見した。
直接メッセージも送らせていただきましたが、本当にありがとうございました。いただいたものをしっかりお返しできるようにしていきます。頑張ります。

ひとでたろうのLINEスタンプ第2弾をつくる。(かわいい子…)


4月19日(木)
前の職場の先輩に会う予定が延期になった。空気が冷たい。ブランケットにくるまって家で少し仕事をする。
本の感想をnoteにアップする。


4月20日(金)
午前中、図書館で資料探し。本を返してまた借りたので、行きも帰りもリュックが重い。
歩いているときは、ついつい周囲の家をみてしまう。新しい家、ふるい家、細長い家、広い家。
どれだけたくさんの人がこの街に住んでいるかということと、6年以上住んでいてもそのほとんど全員を知らないんだなということを思う。

地元にいた頃(とくに子どもの頃)は田舎だからか、近所の人、畑にいる人、視界に入るほとんどの人に当然のように挨拶していたけれど、東京では全くそういうことをしない。たまに道ばたで話しかけられると、話す準備ができてなさすぎて咳き込んだりする。町内会のようなものもなくて気楽だけど、いつかそういう繋がりを求める日がくるのだろうか。
中島京子「小さいおうち」を読みはじめる。


4月21日(土)
中島京子「小さいおうち」を読み終える。映画化された作品もネットフリックスでみる。小説とはずいぶん物語の構成が違っていた。黒木華ちゃんは、着物がよく似合う。本当に素敵。

オットが仕事がらみのイベントから帰宅。よおしオットにちょっと物申してやろうと思いつつもうまく言葉がみつからないとき、混乱と興奮で謎のべらんめえ口調になってしまい(「あたしゃねえ」と言う)、自分の中の浅香光代を感じる。その口調は以前からたびたび指摘されており、結局なんだかよくわからないまま笑って終わる。


4月22日(日)
一日の終わりに、過去に自分がおかした失敗というか今でもずっと後悔していることを久しぶりに思い出して暗い気持ちになる。もう何年も経つし、自分以外は忘れてるだろうし、そもそも悪いことではないのかもしれない。当時はそうせずにはいられない理由があったことも自分ではよくわかっている。

それでもやっぱり、一度思い出すとしばらくくよくよしてしまう。この罪への執着心というか、一度はまると抜け出せない、いつまでも「ゴメンナサイ」と懺悔しつづける癖はなんなのだろう。自分に酔っているのだろうか。人に言うと「時間の無駄」とばっさり切られそうだし、自分でもそう思うけど、時々過去の自分を思い出すことは必要な時間のようにも感じるのでないがしろにもできない。

とはいえ暗い気持ちから全く切り替えられないまま、日曜の夜の貴重な時間をソファでボー然とするだけで過ごしてしまったので、もう十分だと思って早めに寝た。睡眠は最高の気分転換、最強の味方だ。起きてもまだだめだったら、その時考えればいい。


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