母とスイカ
毎年夏になると、母は好物のスイカを送ってくれる。
今年も3Lサイズのスイカが届き、ザクザク切り分けていると、ちょうど帰宅してきた夫が「魚をさばいてるみたいだ」といって笑った。
地元の直売所から送ってくれるのを毎年ありがたく食べていたけれど、数年前母からの連絡を避けるようにして過ごしていた時期は、それを断っていた。
20代後半、仕事が上手くいっていなかった頃だ。職を転々としながら今度こそちゃんとしなければと焦る一方で、社会との折り合いがつかず、お金もなく、半ばふてくされていたあの頃。
私が「普通」という言葉に今でも反応してしまうのは、母の影響が大きい。
母は経済的に苦労して育ち、18歳で就職と共に地方から上京して会社員になった。会社の寮で暮らしながら「毎月決まったお金をもらえるありがたみ」を身にしみて感じたのだという。
よく幼い私たちに言っていた。「普通が一番」「うちはみんな真面目」「こうして学校に行けるのは、お父さんがしっかり会社で働いてくれているからだよ」。
父は父で「お前が大学に行けたのは、母さんが子育てしながら会社勤めを続けてくれたからだ」と言っていた。父も母も、数年前定年退職するまで立派な「会社員」だった。
そういう理由からなのか、母はとにかく「普通」の「真面目」な「会社員」になることを望んでいた(ように思う)。
見渡せば、父も母も、兄も、夫も、友だちのほとんども、周囲は皆「会社員」だった。朝晩の満員電車に揺られているほとんどの大人もきっとそうだろう。努力すればきっと、自分も同じようになれると信じていた。
けれど実際は思うようにいかなかった。
今思えば、毎日たくさんの人たちと同じ空間で過ごすことが得意じゃなかったんだけど、その時はそれを気合で乗り越えようとしていた。過剰な緊張で常にこわばる体を無視したまま頭をフル回転させて仕事をし、周囲とバランスをとるためのコミュニケーションをはかっていると、ある種ハイな状態になっていき、ある期間までは順調に勤められる。けれど徐々に心と体はかたくなり、ぎりぎりまで圧縮され、限界を超えると突然爆発して粉々になった。
帰宅と共にスーパーの袋をぶちまけたまま玄関で倒れるように寝ていることもあれば、朝めざましテレビをみながらなぜか涙が止まらない日もあった。そうしてたびたび体調を崩しては、消えるように、時には逃げるように転職を繰り返していた。
「普通」に働くっていうのは、なんでこんなに大変なんだろう。他の人はどうして続けられているんだろう。「我慢してる」って皆言うけど、あとどれくらい我慢すれば私はこの生活に慣れられるんだろう。何かが違っているという思いはあっても、具体的な対処法はいつまでも見つからなかった。そして、また会社をやめたと知ったら母は心配するだろうし「普通」にも「真面目」にもなれない娘にきっと失望するだろうという劣等感や罪悪感から、だんだん実家との連絡を避けるようになっていった。
毎年恒例のスイカをいらないと言ったのは、この頃だ。母とできるだけ連絡を取りたくないという思いもあったけれど、スイカをザクザク切り分ける余裕すらなかったんだとも思う。食べものを腐らせてしまう時の心のダメージは大きい。
母の望む自分になれないという劣等感や罪悪感は、それからも水面下でしばらく続いていた。
去年の年末、転々としながらも10年近く続けた会社員生活を終わらせた。10年近くやってみて、やっぱり自分は会社員に向いていなかったんじゃないかと思う。甘えや怠けなのではないかと自分を責め続ける気持ちにも、ようやくケリがついた。
フリーランスになってから細々と続けているライティングの仕事は少なく、あいかわらず収入も不安定だ。けれど「母が安心するような、真面目な普通の社会人にならなくちゃいけない」という思いつめた気持ちはようやくなくなってきた。
今年に入って実家に帰った時、私は母に「お母さんが望むようなちゃんとした大人にはなれないけど、私は私らしくがんばるよ」というようなことを言った。母をがっかりさせるかもしれない、否定することになるかもしれない、傷つけるかもしれない。そう思うと勇気がいった。
それを聞いた母は、どう思ったんだろう。たぶん、驚いたんじゃないかと思う。けれど母の口から語られたのは、前述した自身の生い立ちや、自分が実感した幸せが子どもにとっても幸せだと思っていたという話だった。そして、子どものためと思ってつい言っちゃったけど、これからはもう言わない。もう○○(私)は大丈夫なんだもんね、というようなことを言ってくれた。
定年退職してからの母は、とてものびのびしている。ヨーロッパにひとりで絵を見に行ったり、図鑑でみた野生の花を見に稚内に行ったり、「一度かけてみたかった」と(へんてこな)パーマをかけたり。お茶とお花と、オペラも始めた。なによりも、顔が変わった。「普通が一番」「うちはみんな真面目」と言っていた頃より、ずっと楽しそうにみえる。母自身も、そういう呪縛からようやく解放されたのかもしれない。
スイカはあれからまた送ってもらうようになった。つやつやの表面をなでると、直売所でこれを選んだ現在の母を思い浮かべ、キンキンに冷やして真っ赤な果肉にかぶりつくと、兄と競うように食べている横でザクザクとスイカを切ってくれたあの頃の母を思い出す。
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