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猫と喋ったうそ日記(4月30日~5月6日)

文章と絵をかいている人間の日記です(週1更新)。とくに何もおきません。ときどき読書・映画。

4月30日(月・祝)
映画「トータル・リコール」をみる。

冒頭、主人公が古びたマンションのベランダから荒廃した街を見下ろすシーンに既視感をおぼえた。色のない街並み、むきだしでがたがたした建物の壁、ほこりっぽい空気。人気のないマンション。ベランダで頬杖をつくどこか投げやりで人生をあきらめたような男。

この景色絶対知っている……と思いつつも、現実ではみたことはないし、この映画をみるのは初めてだし、一体どこで?と思いながら最後までみていた。そして映画を観終わってから、「トータル・リコール」はフィリップ・K・ディックの小説「追憶売ります」を映画化したものだったと知って納得した。

私の記憶に残っていた景色は、おなじくフィリップ・K・ディックの小説「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」を読んでいて思い浮かべた景色だった。

ひとでたろう更新。


5月1日(火)
最高気温28度。暑い、夏だ。新しいスリッパを買う。

蒲田へむかう電車の中で、小学生のころ宿題の日記を書くのが好きだったことを急に思い出す。帰りの時間の教室で、もどってきた日記帳を開いて先生からの赤字のコメントをみるのが楽しみだった。私は半分うそのまじった日記をよく書いていた。猫としゃべったとか、土を掘ったらペンが出てきたとか。思いついたことをそのまま書いて、時々勝手に余白に絵を描いた。

帰りの時間に私の日記を先生が読み上げた日、友だちに「あれってうそでしょ」と帰り道で言われたのをおぼえている。私はあの時どんな顔をしていたんだろう。
たぶん、日記には本当のことを書かなくちゃいけないのに「うそをついた」ことへの罪悪感を急に感じて、それがばれていることへのパニックで頭がいっぱいだったんじゃないだろうか。けれど一方で、「うそを書いてなにが悪い」という開き直りのような気持ちを感じていたかもしれない。もう覚えていないけれど。

担任の先生が一度だけ「〇〇さん(私)の日記は詩のようでおもしろい」と書いてくれたことがあった。それを今でもおぼえているのは、自分の原点みたいなものを感じるからなのかもしれない。

そういえば、中学校に入ってからも毎日書いた「生活の記録」や、度々まわってくる学級日誌や週番日誌も書くのが好きで、自分の順番が回ってくるのがたのしみだった。手書きが好きなのか、日記的なもの全般がすきなのか。たぶんその両方。いまとやってることが変わらない。


5月2日(水)
ユニクロに行き、何も買わずに帰る。

ひとでたろう更新。


5月3日(木・祝)
今日からカレンダー通り4連休。
午前中2つ向こうの駅までランニングする。ローソンでグリーンスムージーを買う。

ひとでたろう更新。

最近好きな感じの絵が描けるようになってきてうれしい。この持ちをキープしたまま、今月は毎日絵をアップしようと思いはじめる。(毎日って大変そうだけど)

「ひとでたろう」というコアラについて、自分で描いていてもわからないことがたくさんある。

どこからきたの?
なぜ水色なの?
なぜそんな名前なの?
いつも何をしているの?

深く考えずに、ぼんやりとした「やさしさ」「癒し」だけでひとでたろうのおだやかな生活を描いているけれど、ちゃんと細かく設定した方が広がりをみせるのだろうかと度々おもう。


5月4日(金・祝)
村山由佳「天使の卵」を読了。村上龍の解説について別の記事でnoteに書きたい。


5月5日(土)


5月6日(日)
ランニングを終えた夫と昼ご飯を食べる。冷やし中華をつくってくれた。思えば連休中のほとんどは、夫がご飯をつくってくれている。レシピに忠実で、盛り付けも丁寧で美しく、私がつくる何倍もおいしい。

長かった連休もおわり。いろいろあったけれど、ひとでたろうのようにおだやかに、マイペースに前をむいていきたい。



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最近更新してませんが今までのひとでたろうに会えます
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