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高校野球を観て思い出した複雑な思い

ついに選抜高校野球が開催されましたね。

昨年は、感染症の関係で思うような日程で開催できず、高野連の方の配慮で選抜へ出場予定だった高校が1試合だけ甲子園という舞台で試合をすることができました。


今年はというと、観客数に制限を設けながらでも通常日程で開催されほっと安心しております。

今回は、私と同じような思いを抱いたことのある人は少ないと思われる複雑な思いについて書いてきます。

私は、高校卒業して2021年で約8年が経ちます。

実を言うと、私の出身校は県内でも屈指の名門校で、さらに言えば時々ではあるものの全国大会へも出場することがあります。

当時の私はというと、高校野球にマネージャーとして携わり、全国大会出場に向けて、さらに言えば全国制覇というのを目標に掲げ日々チームをサポートしていました。

しかし、甲子園へ出場したことはあるものの、それは1つ上の代の先輩方の力によるもので私の代では出場することができず。

ちなみに言うと、私の1つ下の代では出場しているんですよね( ;  ; )

このような経験をしていると、高校野球は好きであるものの母校が頑張っている姿を見ると、とても複雑な思いがふつふつと湧いてくるのです。

私の思いは、私が未熟であったが故に引き起こしている部分であります。
 
しかし、2020年に高校3年生だった方は、感染症の影響で本来の野球というのができない状況でした。
(その中で夏の大会を都道府県独自で開催されたことは、一高校野球ファンとして嬉しいことでした。)


そんな方達からしたら、
・後輩達には自分と同じ思いをして欲しくない
・頑張って欲しい
という応援する気持ちとは裏腹に、私には想像のつかない複雑な感情を抱いている可能性があります。
(悔やんでも悔やみきれない、誰かを責めたくても責められない…)


私は、このような深刻な状況を経験している訳ではないので偉そうに発信することはできませんが、この悔しさを長い人生のどこかで何かに対する「貢献」と言う形で晴らしてほしいと思います。

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