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祖母の生き方

子供の日の今日は、曾祖母の50回忌の法事で、瀬戸内の島江田島へ。

今年92歳になる祖母が、自分が元気なうちにと2年早く行なうことになった。

お経と説法をきいて、命と向き合う日となり、GWに命を意識する日ができたことに感謝したい。


曾祖母は私の生まれる1週間前に亡くなったそうで、私は生まれ変わりだと言われている。

どこか似ているらしい。

私もいとこも会ったことがないので、どんな人だったのかも知らないが、今日は笠井家勢ぞろいで、楽しい時間となった。

祖母は、腰は悪いけど杖をついて歩けるし、お肉好きだし、パスタ好きだし、リンツのチョコが好きだし、よく笑うし、とにかく明るい。

そして、今日実感したのだけど、祖母は地元の会う人会う人に、「笠井さんには、本当に良くしてもらっている。」と言われて、周りの人たちにとても感謝されている。

祖母の旦那様、私からみて祖父は、父が中学生の時に亡くなっている。だから、祖母は子供4人を女手一人で働いて育ててきた。記憶では70歳ぐらいまでは仕事は続けていた。祖母から直接苦労話を聞いたことはないけれど、想像できないぐらいの苦労をしたのだと思う。

曾祖母のことを知らないので、どんな人だったのか聞いたら、近所でも有名な嫁いびりをするような厳しい女性だったそうだ。

でも、祖母はまったく悪く言わないし、自分が元気なうちにと50回忌までやっている。「ちょっと厳しかったけど、よくしてもらった。」と感謝している。

母や叔母さんいわく、最期の頃は、祖母が仕事から戻ってくるのを楽しみに待っている様子だったとか。


そして、私の父は長男で、兄弟4人とても仲もいい。

笠井家は決して裕福ではないけれど、みんな楽しいことが好きで、いつも笑っていて、感謝に溢れている。

それは、祖母の姿を見ているからだと思う。

いつも笑顔で何事にも感謝をする祖母のことを、みんな尊敬している。


改めて、私は家族や親族、祖母のために何もできていないことを痛感した。

私が仕事で忙しいことをみんな理解してくれていて、何にも役に立たない私を温かく見守ってくれている。

もっと今できることはあるはずだと、祖母にできることはないか、いとこやその子供たちに喜ばれることはないか、考えようと反省した。


そして、祖母のように、90歳になっても人の役に立てる人になりたいと、祖母のような生き方がしたいと思う。

やっぱり、感謝と笑顔が溢れる場所をつくりたいと、つくづく実感した日になった。


瀬戸内の島の景色と風に癒された。


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