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【これが私のグリーフケア】

「これは立派なグリーフケアやわ。
 間違いない。
 こんなカタチのグリーフケアを
 初めて見せてもらいました。」

そう言葉をかけてくださったのは
先日。私が葬儀の司会を
担当させて頂いたお宅の
故人の娘さん。

緩和ケアの病院の
看護師さんをしておられるそう。

ケアのプロに
そう認めてもらえたことに
ちょいと小躍りしそうだった私(笑)

私はなあんにも
特別なことはしていないんだけどね。

ただただ
ナレーションを作りたいからという名目で
通夜が終わったあと
ご家族やご親族に集まってもらって
故人さんの話をしてもらう。

その場で
話が出やすいように
話が出来ない人がいないように
場を回す。

そうしながら
その場にいる人たちを観察をする。
この中で
心の傷が
深くなりすぎている人がいないか?を
探っておきたいから。

いなければ
それでいい。

あ。この人は…と
見つけてしまったときは
ナレーションなんか
二の次三の次になり
どうしたらその人を
救い出せるか?だけに
全神経を向けることになる。

この娘さんのお宅で
まずいなぁ。と感じたのは
故人の奥さん。
この娘さんのお母さんだった。

事故死だったご主人。
本当に突然すぎる別れだったからだろう。
どこか
ご主人の死を
現実として受け止めきれていないようで。

通夜の日も
やたら陽気で
ただただ落ち着きなく
動きまわっていた奥さん。

弔問の方々が
涙しても
対応に出た
この奥さんは笑っている。

なのに
目には力が無い。

ああ。
これ。ヤバイやつだ。と
私の長年の勘が囁いた。

だから。
長い長い時間をかけて
奥さんの話を中心にして
話を聞いた。

初めは
「私じゃなあて子どもたちから
 聞いてくれたらいいわー」

そう言っていた奥さん。

でも。
何度も何度も
しつこいまでに
私に話をふられる中で
奥さんも少しずつご主人の話を始めた。

気が付けば
奥さんの独壇場になった。
どんなに
ご主人が好きだったかが
ご主人の死を
まるで自分に責任があるように
感じているというのが
伝わってくる。

ああ。
やっぱりか。

そう思った。

思ったからと言って
私が何かいい話をする訳でもない。

ただ。
うんうん。そっかそっか。と
話を聞く。

「奥さん。
 お父さんのこと
 大好きやったんやね」

「そっかあ。
 奥さんはそう感じておられたんね。
 じゃあ
 お父さんは
 どう思っておられたと思う?」

そんな合いの手を入れるだけ。

否定はしない。
推測も入れない。
ましてや
意見など
絶対にしない。

でも。
とりとめもないと思われる
この時間が
この奥さんの心に
悲しみという膿を出す穴を開けてくれた。

奥さんがムダに笑わなくなった。
でも
それに対比するように
色は暗いけれど
目に生気は戻る。

現実に向き合い出した合図だ。

翌日の葬儀。
泣いてくれ‼️と
願いをこめて
ナレーションを読んだ。

奥さんを泣かせたかった。

こういう時の涙は
心の膿を流してくれるから。
泣かなきゃ
泣いておかなきゃ
次に進めないから。

悲しいんだって
苦しいんだって
自分で自分の気持ちに
気付いて。

そう願いを込めて
読み上げた。

奥さんの嗚咽が
聞こえてきたとき。

心からホッとした。
ああ。
心を癒し始める
スタートラインには立てたなあって(^ー^)

その一連の様子を
全て見ていた娘さんが
冒頭の言葉をかけてくれたんだ。

私には
スタートラインに
立たせてあげることしか出来ないけれど。

これが私の精一杯のグリーフケア。
私が葬儀司会にこだわる理由。

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