徳とカルマの流れ 〜お金と徳分の関係とそこにまつわる落とし穴〜
前回、徳分の流れについての基本的なことをお伝えしました。
今回は徳分が知らず知らずのうちに消費してしまう危険性についてお伝えしたいと思います。
前回記事をまだご覧でない方はこちらからどうぞ。
わたし達の肉体的な活動領域である三次元では、肉体を持つがゆえに様々な不便が生じています。
それを解消・解決するためにこの地球上で人類は進化し続けてきました。
現代では、自動車、新幹線、飛行機、電話、コンピュータ、スマートフォン、冷蔵庫、洗濯機、そしてインターネットなど。
わたし達の身の回りにあるありとあらゆるものは過去の不便を解消・解決し、暮らしを豊かに彩ってくれるものばかりです。
余談ですが、これは火を起こしたことから進化の契約が結ばれています。
この豊かな暮らしを享受するための様々なシステム・サービスを利用することには、あたりまえに対価を支払う必要があります。
この対価を司る最も一般的なものがお金ですね。
なにかを得るには、お金を捧げる。
これがこの地球上でのルールになっています。
ただ、これについてもいろいろ絡んできて複雑な話になるので、あくまでもここではお金はそういうものとして話していきます。
このお金。
あなたは気持ちよく使えていますか?
お金を使うとき、どんな気持ちになるでしょう?
お金をエネルギーとしてみていくことで重要なことがわかります。
エネルギー自体には善も悪もないし、ポジティブとネガティブもないのですが、
扱い方によって性質が変化します。
そして、宇宙的なエネルギーの法則として、投射したエネルギーは循環を経て自分自身のもとへ返ってきます。
ポジティブなエネルギーは、そのままポジティブなエネルギーとして返ってくるし、
ネガティブなエネルギーは、そのままネガティブなエネルギーとして戻ってきてしまうということです。
よく、お試し現象という言葉を聞いたりするかもしれませんが、このエネルギーの法則によるものです。
お金を使うときにもまったく同じことです。
“出費がかさむ”という表現にポジティブな捉えかたができるひとは少ないと思います。
このときに意図せずとも載せられたネガティブなエネルギーは循環していくことで、また新たな出費を生み出す現実をつくります。
また、お金を扱うときにエネルギーが載らなくなる原因にもなります。
エネルギーが載らないお金の使い方をすると、みるみる先細り、わずかなお金しか残らなくなります。
わたしも若い頃に経験がありますが、ギャンブルで得たお金はパーっと消えていってしまったりしましたし、
もうちょっと視点を変えると、無茶なことをしたり、なにかを犠牲にして得たお金は、意図せずとも強制的に消費させられることとなってました。
これが、あぶく銭の正体です。
お金をどんなに稼いでいても満たされないひとは世の中にたくさんいると思います。
また、お金がもっとあれば幸せになれるのにと考えているひとは、もっとたくさんいると思います。
なにかを切り詰めたり、ときには値切ることを選択するひとがいるのも理解できます。
いまの小売店では表示されている価格で購入を決めることがほとんどですが、家電や自動車、住宅などの大きなお金が動く業界では残っている、“値切る”ということにはとても注意が必要です。
この“値切る”行為は、価値を否定することにあたります。
そうやって得たものは、本来の能力を発揮できない状態になるか、
別のエネルギーで補填されるか、
どちらかになります。
前者ならまだ勉強代として割り切れたり、自分への戒めになって良いのですが、
後者の場合は結構深刻な事態に陥る可能性を秘めています。
別のエネルギーとは、もちろん徳分です。
値切った分は必ず消費されています。
それだけじゃなく、値切ったことによる快感によって、さらに上乗せして徳分は消費されます。
安く買えたことによる高揚感や満足感、達成感。
自分のだけが安く買えて嬉しい気持ちの優越感。
むしろふっかけてきてるんだから値切って当然だと思う正義感。
ひとによりどう思うかは様々だと思いますが、もれなくこの快楽を得ることで徳分は無意識・無自覚のうちに消費されています。
逆もしかり、
販売者が価値以上の価格で押し売ってしまった場合は、得たお金以上が徳分から差し引かれます。
そして、この値切りや押し売りなどで、犠牲となるなにかが発生すると、カルマまでをも積んでしまうことになります。
では、どうすればよいのか?
その詳しい方法などは次回お伝えしたいと思います。
じゅんじゅん