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なぜ「カフェ依存症」になったのか、考えてみたら、パンドラの箱が開いてしまった🔑

別の記事でも触れましたが。
私は自他ともに認める「カフェ依存症」です。

「カフェ中毒」
「カフェ症候群」

とも言えますが、最もしっくり来るのが
「カフェ依存症」

…ほんとにヤバいレベルなんです。

もしかしたら、ほぼ毎日かもしれない🫣
重症の日は、1日に3軒ハシゴしたりする。
途中まで、写真を撮ったりレシートで家計簿入力したり、SNSにアップしたり記録に残してましたが、何だか多過ぎてこわくなって、記録するのを辞めました。

…なので、今どのくらい行ってるのか、散財してるのか、もう誰にもわかりません。

よっぽど「好き」だから「中毒」なのかなって、
笑い飛ばしてたんです。

しかし、ある時点から、
なぜ私はこんなに頻繁にカフェに行くのだろう?と、考え始めました。

理由、何だろう。

なるべく家に居たくない、帰りたくないサラリーマンのことを「フラリーマン」なんて呼んだりするらしいけど、そんな要素もあるかな。

・居心地の良い場所はどこか、常に探している。
・自分をすべての役割から解放できる場を求めている。
・読書に没頭できる場所、創作に没頭できる場所になるべく身を置きたい。

うん、まぁ、この辺かな。
と思ってたんですが。

先日、娘との口論がきっかけで、気付いてしまったんです。

それは。

「私に優しくしてくれる人、丁寧に扱ってくれる人と場所を探している」

…これに気が付いた時、何とも言えず情けない気持ちになってしまい、泣いてしまいました。

どうやら、子どもの頃の未解決の問題と繋がっている。一般には「インナーチャイルド」とか言うんだろうけど、個人的にはその表現にはちょっと抵抗があって。でもその否定している問題が間違いなく私にもあることに、そしてこの歳になってもまだその問題をひきずっていることに愕然としてしまったのです。

「お金を払ってでも、人に優しくされたい」

…惨めだと思ってしまいました。

私が否定している要素が、私の中にも存在している。

このことが受け入れ難くて、気付いてしばらくの間はカフェから足が遠のいたんです。

これをきっかけに、ひょっとしたら適正な頻度に落ち着くかも、とも思ったのですが、またぶり返しています。

しかし。この自分も、受け入れないと、先に進めない気がしています🫖

ああ、やっぱり、私は
「深く考え過ぎ」だ。

過去に出会った皆さん、当たっていますよ。

やれやれ。我ながら面倒くさい奴です。
しかし興味深い。
客観的に、自分を俯瞰、観察して行きたいと思います🔍


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