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「解決ではなく、解消する」私の心を軽くしてくれた言葉

私は仕事をいくつか掛け持ちしているほか、現在NPOでの活動やラフティングというスポーツの協会の理事をしており、いくつかのチームの一員として日々活動をしている。
またラフティングにおいては、かつてはあるチームに7年在籍し世界一になったこともあるし、ここ数年ほどはまた別のメンバーでチームを組み、来年はまた世界一を目指してみることにした。

そんな経験をしていく中で、私自身、なんとなく「チーム」としての経験値みたいなものは少しずつ上がってきているような気がしている。
というか、チーム内外で何か問題や課題があったとき、以前よりも困難だと感じなくなった。
もちろん大変なこともあるけど、何かしらできることはあると思えることが増え、前に進みやすくなった気がする。

そう思えるようになった理由として、「解決しようとするんじゃなくて、解消すればいい」という言葉の存在がある。

これは、かつて私が世界一を目指し活動していたときに、一緒に世界一を目指し、伴走してくれたファシリテーターの長尾彰さんの言葉。
たとえ話なのか実話だったのか、もうかなり昔のことなので記憶は曖昧だけど、そのとき彰さんはこんな話をしてくれた。

僕が仕事に打ち込んでいると、最初は妻もがんばってねと応援してくれる。でも、仕事が忙しくて家に帰るのが遅い日々が続き、それがある一定期間続くと、家に帰ったら妻がしくしく泣いている。全然家族の時間を大事にしてくれない、と。
だから僕は遅くなってごめんねとお詫びのケーキを買って家に帰る。そうすると妻は喜んでくれて、また頑張ってねと言ってくれる。
だから僕は家族が悲しまないように定期的にケーキを買って帰る。

10年以上前?の記憶なんで詳細は曖昧です。違ってたらすみません!>彰さん

解消するってこういうこと。的な意味合いで彰さんはニッコリと私に話してくれた記憶があるのだけど、当時私は率直に「え、ダメじゃないそれ?!」って思った。
全然、根本は解決してないやん。ていうか、その場しのぎだし。。みたいな。

こっちは真剣にどうやったらうまくいくか考えているのに。。。という気分だった気がするが、後々、私はこのたとえ話と「解消すればよい」という言葉のお陰ですごく救われるようになる。

わかり合う。はムズカシイ

チームにいると、「わかり合う」といった言葉を耳にすることは多い。けど、このわかり合うということが難しく、「わかり合えない」という言葉に到着してしまうことも多々ある。

この「わかり合う」には、相手の態度も含まれている。
つまり、わかり合うためには、私があなたを理解するだけではなく、あなたに私を理解してもらうことも必要。
というか、相手が自分をわかってくれる感覚があれば、「わかり合えない」なんて思うことはない気がする。
つまり、「わかり合えない」は、相手に自分が理解してもらえていない、という感覚が大きいのではないか。

でも、自分が真剣に、そして本気になればなるほど、自分で自分を肯定し、代わりに理解してもらえない相手を否定してしまうことはないか(私はある)。

こう考えると、「わかり合いたい」という願望は実は自分のエゴなんじゃないかとも思える。

私の感覚では、この「わかり合う」みたいな考え方は「解決する」に近い気がしている。わかり合えなければおしまい、みたいな。

一方で、「解消する」というのはちょっと違う。「対処する」という言葉にも置き換えられる気がする。
とりあえずどうやったら前に進めるかを考えたりすることに近い。

イメージとしては、こんがらがっている紐を、どうやったらほどけるのかなーと思いながらとりあえず紐を触ってみる
やり方を限定してほどけないなら無理!とあきらめたり、力ずくで引っ張ってさらに固い玉になることがないよう、緩む場所を探す感じ。
全部ほどけなくても、とりあえず必要な分だけほどければOK、やっていきながらまたほどけるところがあったら解いていくみたいな。

いいチームだから勝てたんじゃなくて勝てたからこれでもいいんだと思えた

今でこそ、チームで何か起きても問題や課題に対してポジティブに取り組みやすくなった気はするが、以前は深刻な気持ちになることも多々あった。
まるで終わりのないトンネルに入ってしまうような感覚になり、こんなんでは、もうやっていけない。もうやめようか、と思ってはよく立ち止まってしまっていた。
(今思えば、若かったなーとも思う。笑)

でも、あるときふと解決じゃなくて、解消できればいい。という彰さんの言葉とエピソードを思い出し、それならできるかも知れないという気持ちになれた。

このマインドになってから、私はだいぶ気持ちが楽になった気がする。
そして、チームで世界一も経験した。

世界一になるチームってもっと完璧だと思っていた。けど、現実はそうじゃなかった。阿吽の呼吸、の部分もあったかもしれないけど、実際のところはツギハギだらけだった感覚。
問題や課題にぶち当たってはとりあえず解消策を講じて進み、またぶつかっては解消し、それの繰り返し。でも、そうやって対処しているうちに一番上に行けた。

一番上に行けたって、全然完璧じゃない。
でも、その競技で勝つために必要なことはクリアできたんだと捉えている。

今思えば、この「解消すればよい」という考えによって、チームは立ち止まりすぎたり、諦めて辞めてしまうということがなく、目標まで完走することができたんじゃないかと思う。

「解決しよう」と思って物事に向かうと難易度は高くなるように思う。その分、解決できたときの達成感は大きいかも知れないが、できなかったときのリスクも大きい。
そして、チームでは問題や課題は一度ではなく、何度か対面することがほとんど。とりあえずでもいいから、解消しながら経験値を積み次に活かすことで、同じところをグルグル回るのではなく、螺旋階段のように上がっていけるようになる。

「よいチームだから分かり合えている、ゆえに力が発揮され勝てる」ではなく、結果が出たからチームに対して意味や価値を感じることができた。
意味や価値は後から付いてくることもある。という経験を経て、私はよりいっそう「とりあえず解消して進む」ことの価値を感じている。

もちろん、わかり合うことや解決すること自体は否定しない。
あるいは諦めたり辞めて別の次に行くことも悪いことだとは思わない。
けど、その場しのぎの解消を積み重ねることにもメリットがあるのだと思うと、チームでの問題や課題に対面したとき、気持ちは楽になる。

そして、難しく考えすぎず、「本当は嫌だけど、ケーキ買ってくれるならOK」くらいのマインドでいることが、チームを楽しめるコツかもしれないなあとも思う。

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