隣の芝生は、ヤバかった件
お仕事の中で、いろんな方のお悩みを聞くことがあります。
そんな中で、「自分には才能がないのでは?」や「他の人と比べて……」と、深く悩んで、頑張り過ぎている様子を見ることがあります。
でも、堅実に歳を重ねると、他人との比較って一体何なのかと考えるようになるとも言います。他人と比較する対象とは、何だろう、と。
他人との比較は、たいてい自分が持っていないもの、や、今できないこと。他の人と比べる対象は、スキルであったり、見た目、モノ、状況、資金力……いろんなものであったり。
そういう対象で・・、隣の芝生(=他人の持っているモノ)と比較してしまう。
でも、隣の芝生と比較しすぎると、そのことが頭から離れなくなり、手に入れるために頑張り過ぎていることも・・。すると等価交換的に、失っているモノも数多くあるのかもしれません。
ふと、歳を取ってくると・・今無いモノよりも、今あるモノに、感謝できるようになってきました。
捉え方だろうか・・うん、そうかもしれない。
隣の芝生は、まず反応的に、自分にないモノが、とても欲しいと思うし、実現したいと思うし、今無い状態が苦しいと思うのも、人間として当たり前かもしれないが、ちょっと待て!!
無いモノに気を取られすぎず、今あるモノに意識を向けることもまた、幸福を味わう上で大切なのではなかろうか、と。
実際、悩み過ぎると、体によくないし、頑張り過ぎても駄目。何よりも、免疫によくないことがよくわかってきました。だから、歳をとると、こんな風に物事を考えるようになるのかもしれません。
趣味を愉しめる人をイメージしてみた!
趣味を愉しめる人は、心のゆとりある人かも・・。今あるモノを尊べている状態であって、そこに集中できていることは、本当に素晴らしいと思います。
逆に、無いモノに悩みながら、今あるモノに気づかず、精神的に追い込んで頑張り過ぎる状態は健康上よろしくないし、周囲の気持ちはいずこへ・・となって無趣味、推しもいなくなって・・。ストレス過多になると、楽しい趣味があっても、ソレを味わえる感覚が希薄になって、要領のイィ人から心の隙を突かれて出汁にされているかもしれない・・。
昔、父親にも言われました。
『人生はしょーもない高望みオンリーな加点制ではなく、機会損失を含めた総合的な価値判断だ。』と・・((+_+))
自分なりに要約すると・・
今無いモノだけではなく、今あるモノも意識して、心のバランスを整えながら感謝して暮した方が楽しいでぇ!ということかも。
無いモノねだりを意識し過ぎて、努力は美学だ!だけで、、アレモコレモと頑張りに囚われ過ぎるのではなく、日々の感謝こそ、ごっつぅ大切かも。
今あるモノを大切に。
まずは、心に満足を置いて、趣味を楽しめている人々は本当に素晴らしい。なぜならば、生きているごく僅かな、尊い時間でもあるのだから・・。
日々、自分の暮らしの中で、達成感や喜びを見つけて、小さく見えても実は素晴らしいこと、自分自身のことをもっと尊重できれば、平和な世界になるのではないか!と思ったりします。
あなたのクリエイティビティを応援し、共に成長し、素晴らしい物語を作り上げるのを楽しみにしています。