「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇七)「神は傷つけるが、それを包み、うち砕くが、その手でいやしてくださる」(ヨブ5・18)

 表題に掲げた聖句はヨブの友人エリファズの言葉です。ヨブの見舞いに訪れて語り掛けた言葉です。私は、長らくこのみ言が好きで、苦難にあっている友人にも度々送りました。ある時、夫から、ヨブ記からの引用には気をつけるようにと言われてハッとしました。

この聖句は、私たちの神さまのお姿を示す言葉として間違ってはいないと思います。そこだけを取り出せば、御心を示しているといえると思います。神さまは時として、私たちの成長のために、困難な道を歩ませ、傷つけられることもあるからです。そして、癒してくださるお方です。どこにも誤りはない言葉です。  
けれども、気をつけないといけません。エリファズの発言の根底に流れているのは「ヨブは罪を犯したから神さまの罰を受けているのだ」という因果応報の考えだからです。そして、それは間違いです。
 
見舞いに来たエリファズの言葉は、ヨブに慰めを与えはしませんでした。明らかに「お前は罪を犯した。謝れ!」という独断的な非難があったのです。ヨブの災難は決して罪を犯したからではありませんでした。エリファズは非情な言葉を発しました。御ことばは全体を把握して受け取る必要があるようです。

安食道子

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