メッセージ要約 2024.11.24 「サウルの失敗から学ぶ」
○Ⅰサムエル記31*1~13
サウルは初代イスラエルの王として立てられ、後の王の模範となるようスタートした。初めは神に従ったが、だんだん神のみ心から離れていった。そこで神はダビデを次の王として立てた。しかし彼はサウルに命を狙われ逃亡生活を送ることになった。その間、サウルはペリシテ軍との戦いの中、命を落とした。劣勢の時、霊媒師に助けを求めたからだ。今日はこの箇所を通しサウルの失敗から学んでいく。
1 サウルの死
サウルが率いるイスラエルはペリシテに打ち負かされ、3人の息子が戦死する。ダビデの親友ヨナタンも含まれていた。さらにサウル自身も追い込まれ、自ら死を選んだ。その後、サウルの遺体は城壁にさらされ、悲惨な最期を遂げた。
2 サウルの問題
サウルが最後まで神に従い通すことができなかったのはなぜか。
①自己中心性(神ではなく自分を王として歩んでしまった)
サウルの人生を振り返ると、神様から離れたり近づいたりを繰り返していた。アマレクの戦いでは神に祈り勝利が与えらえたが、戦利品を自分のものにしたり自分の記念碑を建てて神の栄光を奪ったりした。また今日の箇所でも神に叫び求めたが、神様から答えがないと異教の神、霊媒師により頼んでしまった。彼の信仰の問題点は、最後まで中心は自分だったことだ。自分にとって良いものは神様からもらい、自分にとって都合の悪いものは受け取らない。彼の心の王座には、神様ではなくて自分自身が座っていた。このような感覚を持った日本人は多いのではないか。神社仏閣で自分本位の願い事をする。神様との主従関係が逆転している。
人が自己中心的な歩みを続けるならば、徐々に高慢という怪物に心を支配され、罪や誘惑にさらされる。実際、能力がある人が不倫や汚職に手を染めてしまうという問題が起きている。自分よりも上に神がいると意識して日々歩んでいくなら、私たちは高慢から守られへりくだり神の御心を歩む者とされていく。
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5)
②神の御心より民の声を優先してしまったから
サウルは周りの民の評価を気にする人物だった。ペリシテの戦いで劣勢になり民意が離れそうになったとき、彼はサムエルを待たずに自ら神様にいけにえを捧げた。民の機嫌を取るために神に与えられた決まりを破ってしまった。アマレクとの戦いでは聖絶を命じられたのに、民の機嫌を取るため戦利品を持ち帰ってしまった。またダビデの人気が上がると嫉妬して命を狙った。サウルの人生は周りの人々の評価に左右され、神の御心を見失っていった。
心理学者アドラーの著書「嫌われる勇気」では、承認欲求は否定されるべきと訴えている。他者に評価されると自分に価値があると感じ、そのような行動をとるようになる。他者の評価に振り回され、不安定な人生を送ることになる。私たちは、自分の価値を人の評価という不安定なものに置くのではなく、神が与えてくれた価値に置くべきだ。
3 人生の終わりに
サウルの死後、ヤベシュの人たちがサウルの死体を勇気をもって、命懸けで取り返し埋葬したと描かれている。死者を悪く言わないという著者の配慮が感じられる。
内村鑑三は、ある講演で「私たちが遺しうる最大の遺産は真面目な生涯である。真面目な生涯とは、①この世界は悪魔ではなく神が支配する②この世界は失望ではなく希望に満ちている③この世は悲しみでなく喜びに満ちている 以上のことを人生を通して示すことである。」と話している。私たちも日々神様の助けをいただき王としてふさわしい真面目な生涯を歩んでいこう。 (T・M)