編集者からみた、原稿執筆の一工夫:3-4.言葉足らずにならないように
日本語は主語や主部がなくても大丈夫など、文脈上、言葉が足らなくても通じることができます。
「誰が」「何を」などの言葉がなくても、話している・書いている本人は伝えていることは十分伝わっていると思っています。
文章の場合は、「言葉がない部分」が「その時点より前」に書かれているからです。
しかし、文章が長すぎて「その時点より前」からかなり文字数が多くなったり、話題がいくつも出てくると、言葉がない部分が何についていっているのはわからなくなることがあります。
例えば、以下の文章があります。
私には兄がいます。千葉に住んでいます。
この場合、「兄が千葉に住んでいる」と解釈するのが一番多いと思いますが、「私は千葉に住んでいる」という意味で文を書いていることも考えられます。
「私は」ということはないでしょ、と思う人がいるかもしれませんが、実際にこのような例はあるのです。書き手は「私の紹介」を文章を分けて書いているだけなので、住んでいるのも「私」として書いています。しかし、読み手は「兄がいます」に文が続いているので住んでいるのは「兄」だと思います。
例文のような簡単な文章でも、言葉がないと文章の意味が変わって解釈されることもあります。
通常、書籍や雑誌などの紙媒体やネットの文章を読んで不明なことがあっても、書き手に確認することはできません。よって、普段話すとき以上に「言葉を省略してよいのかどうか」を考えながら書かなくてはいけません。
ちなみに、上記の文章に言葉を足すとすると、「通常、読み手は書籍や・・・」と「よって、書き手は普段話すとき・・・」と、「誰が(誰は)」になります。言葉を足したほうが、ここは読み手についての話しですよ、よってからは書き手についての話しですよ、と読むに人の理解を助けることになります。
編集作業では、「この文章、主語は何をさしているのかな、、、」「目的語に相当する部分が何をさしているのかわからない、、、」というような文章のなど、「ない言葉」の追加・提案をすることがあります。
また、「簡潔に書く」ことに慣れると、長い文章の理解のために必要な言葉を省略してしまう可能性が高くなります。
文章を書いた後に客観的に読んで、自分の伝えたいことが伝わっているか、ということを確認する作業を行うと、間違って理解されることが少なくなります。
言葉足らずは日常のやりとりでも起こりがちです。
メールやLINEなので簡潔にやりとりを行う場合、言葉足らずになることが多いので、「読み手が間違った解釈をするのは書き手の書き方の問題」ぐらいに思って、簡潔だがしっかりと伝わる文章を心掛けるようにすると、文章力が上がると思います(自分にも言い聞かせながら)。