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【発見】留学生の発言から考える人の社会的役割の影響力

ありがたいことに、仕事柄 様々な業界・職種・役職の方とご一緒させていただくことがあり、
時に経営者、時にその右腕の方、時に現場で汗をかき形にする社員さん、行政の方、議員の方、学校の先生、生徒、地域の自治会の長、今時の大学生、留学生とカラフルです。

面白いことに、一人一人が自身の社会的役割のものの見方や思考の影響と、どの時代を生きたかという時代の影響を受けているなと感じます。

その人の 『当たり前=常識』を形成しているなというわけです。

例えば、
36歳の女性、2児の母 の場合

女性としての視点はもちろん、お母さんとしてのものの見方、受け方、思考が影響しているこては用意に想像つくと思いますが、
同時に、世代ごとの母親像が異なるため、世代によって母親の理想像や価値観が異なるといったイメージです。

20代、30代、40代だけでも、家事や家庭での母親の当たり前が違うのは容易に想像できると思います。
なぜか、こうした役割と世代ごとにもつ思考が、大事なように思えたこの頃です。

最近こんな影響も受けたのかという例では、
外国人留学生。

日本人学生と一緒にグループディスカッションをした時のことです。
テーマは「A社の売上を上げるための改善点を提案せよ」。
就活に向けた練習で取り組みました。

シンプルに、A社の商品について調べ、自分なりの意見を話しながら、グループとしての提案をまとめたらよいのですが、

ここに「自分は外国人だから、外国人らしいことを言わなければならない」という無意識のmustがかかり

ある留学生はらしさがわからず静かになり、
ある留学生は自分の国ではと事例ばかり並び、ある留学生は日本のここがダメだと批判し

結果、自分の素直な考えが出ずに終わりました。

この時起こった現象は、自分はこのグループの中で外国人であるから、外国人らしい発言を言う 役割 であると無意識に感じ、その影響を受けていたのだと思います。
(彼らから見ると日本人も外国人なのですが、どの国でしているかというのも影響していますねぇ)

ここで気づいたことは、留学生は外国人としての役割を担う必要が本来的にはない(もちろん仕事では、スキル面での語学・異文化理解という面での期待はあると思いますが)にも関わらず、その場で自分は外国人らしいことを求められていると、社会における役割とは別に、その場における役割までも無意識に影響を受けていると感じたわけです。

いわゆる悟り、空気を読む という表現も合うかもしれませんが、変な話し上の世代の忖度も類似するものだと思うと不思議ですね。

つらつら書いてしまい、方向を見失ってしまったわけですが、色んなことに影響を受けるこの頃、相手の発言も何に影響を受けているかを推測することも楽しいかもしれません。

全然関係ないのですが、ここ数年で気に入っているフレーズは『宮沢賢治の手触り』です。

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