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隠れおひさまのネット上の推し活(X、note)再考

 さて、私、日々SPY活動に勤しむ隠れおひさまなのですが、常々、Xやnoteから特定されることがあったらどうなるのかという、想像するもおそろしいリスクと背中合わせで付き合っています。
 今般、ようやく重い腰を上げて、漸次、Xの主たるポストは鍵垢に移行していくことにしました。noteとの付き合い方も再考します。
 本投稿は、そのあたりの隠れおひさま特有の思考からの弁明になります。


1.いわんや隠れおひさまをや

 隠れおひさまにもいろいろな形態があると思います。実生活での私はおひさまであることを誰にも悟られないように暮らしています。
 最初に欅坂・けやき坂に興味を持ってテレビやネットで見始めたころからは約6年になりますので、振り返ればよくがんばっているなぁと思います。同時に、ここまで隠し通してきたからには今後も守るところはやはり守らないと、という考えにもつながります。
 最もおひさまバレしたくない警戒している場所が自宅ですので、おひさまとしての活動は、隠れていない場合と比べると相当な制約があります。現在は、個人で借りている秘密基地(レンタルオフィス)が活動拠点になっていますが、そこを借りる前はグッズを買う必要性の慎重な吟味、都度の通販の利用に際しての細心の注意など、やりたいようにはできないもどかしさがありました。
 好きな趣味の話を誰ともできない状況でファンを続けてきたことが今では遠い昔に感じられますが、慎重であったがゆえ、匿名で活動できるネットの世界に入り込んだのも、けやきのファンであることの自覚から数年が経過してからでした。その後、匿名が守られている居心地の良さで入り浸っていますが、ノーリスクであると思ったことはありません。
 そのため、ネットの世界にいるときにおひさまとして解放される楽しさゆえに緊張感が弛緩していることは折々感じてきました。そして、そろそろ引き締め時という意識が強くなってきました。
 そもそも隠れおひさまでなかったとしても、海千山千の猛者がいるネットの世界で初めて活動するのは、注意も緊張感も要することであると思います。特に匿名性を笠に着た言葉の暴力は、思いもかけないかたちで発生してダメージをもたらすことがあり、実際に加害者にも被害者にもなって予想外の経験、不快な思いをすることもありました。ネット空間は、安全地帯に見えるところで何事もなく過ごしている分にはいいのですが、実は相当に強いメンタルがないと奔放には振る舞えない場所で、それなりにストレスもある場所だと思います。
 ましてや隠れおひさまです。匿名性のベールを絶対視しない限り、奔放に振る舞うこと自体が存在と矛盾するわけです。今回の方針転換は、そんな恐怖への防衛策です。

2.X

 おひさまとしての熱量が高まると、活動領域を広げたくなるのは必然であり、旧twitterの利用を通じての情報獲得に踏み切るのもきっかけさえあればというのが、ぼっち活動の数年だったかもしれません。
 きっかけは、2022年8月のTIFでやってきました。完全に情報戦に敗北し、観覧することがかないませんでした。そのときに、twitterできちんと情報を得られるようにしておけば、情報戦を制することもできたことが判明したために、手探りでのtwitterの利用、匿名性を前提とした人間関係の構築に踏み切りました。
 利用をし始めてみると、有益な情報を受け手を限定せずに積極的に発信してくださる方がたくさんいて、必要な情報収集という当初の目的を達成するのはそれほど難しくないことは分かりました。しかしながら、長期のぼっち活動の反動か、ほどなくして日向坂について誰かと語り合えるということの楽しさを発見し、活動のための情報交換だけでなく、日常的なコミュニケーションも楽しむようになります。こうなると、FFさんと会おうとするまでも時間はかかりません。直接間接に自身の実生活上の知り合いであるかどうかは可能な限り慎重に吟味し、注意はするものの、実際に会うことへとさらに一歩踏み出します。
 当初はFF関係の構築も甘かったところがあります。情報交換のためには一定の関係が構築されていなければなりませんが、知り合った段階ではTLにあらわれる情報は最低限チェックするとしても、その方がどういう方かは十分には分かりません。目的のために若干のリスクを負って自分からフォローし、コミュニケーションを開始することでFFさんを増やしました。
 一度FF関係に入った方は基本的に解消しない方針で進めるうちに、100人を超えたくらいで多すぎると感じるようになります。匿名性の確保、特定の回避は至上命題のため、ネット上でもどういう方か分からない方とFF関係にいることのリスクが増します。そんな状態でも、現場でお会いする方の紹介や、機械的ではないフォローバックによってもFFさんは少しずつ増えていきます。200人を超えたくらいから、一時的な鍵垢化、部分的なサークル投稿により、不安の軽減に努めてきましたが、昨年のサークル機能の廃止により、ポストの不自由さが増しました。
 このような次第で、今般、別の鍵垢をメインに狭いコミュニケーションの世界を構築し、当初目的とした情報交換と、自分で把握できる範囲のFFさんとの交流に特化する方向に舵を切ることにしました。

3.note

 noteもXと同様に、自己の発信内容を公開することになりますので、本来は絶対的匿名性を前提としなければなりません。もちろん、絶対性などというものは存在しない単なる幻想、誤謬です。その意味では、noteは結構軽い気持ちで始めてしまったところはあります。
 最初は、XにおけるFFさんがnote記事を書いたり、紹介したりするのを眺めていて、次第に興味を持つようになりました。開始、運用にあたり慎重さを欠いた背景には、Xのような対人関係が形成されない点があると思います。
 それでも、当初は、すでにXで発信していたポスト、特に字数制限のもとでシリーズ化していたポストについて、自分で一覧できるかたちで編集したものをnote記事化していて、すでに公開している内容ゆえにハードルが低いものでした。その他も、Xでポストしたいが字数制限なく語りたいことについての利用をすることで、長文投稿を除いては、Xを超える独自の意義はできる限り抑えるようにしていました。
 一方で、noteの利用開始によって発信に対する字数制限が撤廃されると、自己の記録として残したい内容なのか、公開したい内容なのかの区別が曖昧になりました。自己の記録、自身のための日記のようなものとして整理したときは、そのまま公開せずに保存すればいいだけなのに、一旦、これをnote記事にするかという思考が働き、せっかく書いたので的な発想で進んでしまったところもあると思います。
 Xの使い方を改めるこの機に、noteの使い方についても再考したいと思います。私のnote記事は、(note利用開始時にXのポストを再編集した記事を除くと)行動記録とちょっとした感想が中心で一般的な論考はありませんので、自己の記録として保存しておけばよいのか、どなたかに読んでほしいのか、という点のフィルターはきちんときかせないとと思っています。

補.ってか

 この投稿も主目的は親しいFFさんへの弁明なので、これに鍵をかけるべきなのでしょうか。

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