死生観と言うか生きてる意味みたいなもの

温厚篤実、頭脳明晰、眉目秀麗、運動万能、実家裕福(笑)などなど。すべてが揃った人間なんてーのはほんの一握りしかいないわけで、生まれたからには持って生まれた「能力値」で戦っていくしかない。振り直しは利かない。

元マイミクで生まれついての障害があって自分の母親に対する愚痴を言い続けている人がいたが、非論理的だ。何の解決にもならないことをして周囲に迷惑をかけてどうするのか?確かに障害を持って生まれたことはその方にとっての大きなハンデとなっている事実は認めるし、大変だろうとは思う。だが、その与えられた能力や環境でどう頑張るのかは本人の責任だ。自分の親や周囲を悲しませ、怒らせる言動を取り続ける姿は醜悪そのものだ。と書いたら、マイミクを切られたわけですが(苦笑)。

悲観論者は言う。
A「愚痴らないのはなぜか?」
B「頑張っても報われないかもしれないのになぜ頑張るのか?」
C「生きてる意味って何か?死にたいと思わないのか?」と。
D「悩み、考え込んでしまわないのか?」

私は言う。
A「愚痴って現状が解決するのか? ならば私も愚痴るだろう。解決しないならそれは手段として適切ではないということだ。いっとき、心がすっきりするというなら愚痴にも一定の意味があるんだろうが、それよりも根本解決を考えたほうが論理的だろう。」
B「逆に聞きたいんだが、頑張らなければ確実に不幸失敗に陥るというのになぜ頑張らないのか? 生きてる間、努力しないで何するの?」
C「やりたいことがたくさんあって、時間が足りん。なるべく長く生きないとやり切れない。恩義を受けた人も多すぎる。自分一人の命とは思えない。死にたいなんて考える暇がもったいない。」
D「悩み、考え込んで解決する問題ならそうするべきだが、解決しない問題に時間を費やすのは時間の無駄ではないのか? 優先順位の高い解決すべき問題をこなしていったほうがいい。優先順位をつけるには自分の人生の目的を明確にすることだ。それがあれば迷わん。」

考え方は人それぞれだが、私が生きている意味は自分の周囲に何らかのメリットを返し、結果として自分も幸福であるためだ。メリットは金銭的なものに限らず、笑い話による笑顔でもいいし、知識や技能による手助けでもいい。時間制限があるわけだから時間は貴重だ。私ですでに半分近くを使ってしまった。その割に全然足りていないんだが、まあ急ぐとしよう。

今の人生の目標が見えていないなら、「周囲の人を笑顔にすること」を仮の目標にするといい。蓄財や技能習得は目標と言うよりは何かをなすための手段であるべきだと思う。

自分自身は一番便利に使えるモルモット(実験して観察する対象)だと思っている。むろん大切に扱うが。なんとなく当事者意識が薄く、客観視してしまうのはそれが要因なのだろう。

親しい人物が亡くなると悲しい。それは「その人を喜ばせ、笑顔が見れなくなる寂しさ」「味方が減ってしまった心細さ」「その人の考えを聞けなくなるつまらなさ」に起因する。特に私は3つめの「考えが聞けなくなる」が重い。自分がそう思うわけだから、他人にそう思わせてしまうのは極力遅くしようと思うわけだ。いつか終焉が来るのは事実だとしても。
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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。