幸福と満足の違い

ある書物でチベット仏教の国、ブータンでは国民総生産ならぬ国民総幸福量が判断の尺度らしい。例えば電気設備を工事で増設するとツルが来なくなるから電気を引く事を諦めたなど。

選択出来ることが幸福だと書いてあったが、さらに一歩踏み込めば選択自体は手段であって目的ではないし、そのものが幸福と言うのは少し違うと思う。

選択肢の有無ではなく、現状あるがままから幸福を感じ取れるか(以前も書いている幸福解釈能力)の問題だと思う。

たとえば何か余命あと1か月の人間が、それを知らずに、(幸せなウソを信じ)亡くなったとする。それもソイツにとっては幸せなことだろう。第三者が「彼は騙され続けてかわいそう」というのは持っている情報の差を勘案していない。見えているものが違うのだから下す結論も当然に異なってくる。(むろん、じゃあ、騙され続けて良いのか?と言うのとは別問題だが)

幸福を感じ取るのと満足してしまうのとは非常に似ているが違うことに最近やっと気づいた。現状に満ち足りてしまうと成長する原動力に欠ける。現状に幸福感を感じても良いが、満足してはいけない。

私は私を信頼している。だから、明日の私にすべてを任せて、今日は帰って寝ることにするw。

過ぎたるは及ばざるが如し、明日の事は今日やるな。ですね?(*^□^*)
satisfactionとHappyの違いのように、満足は欲求が満たされる一種性的な、幸福は感情と神の恩恵のような神秘的なイメージを受けました。

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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。