自分の意に沿わない意見を曲解してたたきやすくする=ストローマン論法
■乙武洋匡、RAD野田洋次郎の優生思想を痛烈批判…「人権という観点が抜け落ちている」
(Business Journal - 07月28日 18:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=6174042
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純粋に野田氏の発言をコピペ
「前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。 #個人の見解です 」
まず個人的感想はどう思おうが自由。この意見に賛成するのも反対するのも言及しないのも自由である。
続いて意見の述べ方についてだが、他人を馬鹿にするだとか、他人に自分の考えを強制するのはよろしくない。むしろ、野田氏よりも野田氏をたたいてる方のほうからこそ攻撃性を感じる。
野田氏をたたいてる方の意見のコピペ
>「優生思想にもつながる恐ろしい考え」「ナチスの考えと一致」「人権無視の発言ですね」「国に配偶者決められるなんて、本人が喜ぶわけないだろう」
優生思想につながる部分はあると思うが、それがなぜ恐ろしいのか? 現代でも「羊水検査からの中絶」等は行われているわけだがそちらにも反対されるのだろうか? ナチスの考えと通じる部分はあるとは思うが、その先は?なぜそれがいけないのか?恐ろしいのかについてまで述べてほしい。
唯一「国に配偶者決められるなんて、本人が喜ぶわけないだろう」だけが反論としては成立していると思われる。これは「良い反論」であり私としても同意できる。前2つとは反論のレベルが違う。「人権無視の発言ですね」というのは本人が自由に選べるはずの配偶者を選べなくなることをさしているのだろう。
実際、野田氏の発言の「選定するべきなんじゃないか」というところに多少の強制は感じるが、野田氏は政治家でも権力者でもないわけだ。むろん一般人よりは発言の影響力は大きいだろうが、逆に今回の反対者が騒ぐことでより大きな話題にしてしまっているのではないかしら?(逆効果) 野田氏が独裁者か何かで彼の考えを国民に強制し始めそうならば今回くらい反対して皆に知らしめるのも理解できるのだが。
私としての結論は以下の通り
『おそらく野田氏は純粋無邪気に「そのたぐいまれな才能を残せたら人類の役に立つ」と思ったのだろう(他人の発言を「反対の意思を持って曲解するのではなく、むしろ理解しようとして斟酌する」のはべつによいと思う)。「配偶者の選定」というところには人権無視の要素が残るのは気になるが、彼にそれを強制する権力もなければ、そもそも強制するつもりもないようだからまあいいんじゃないの?』というところか。