リアルリサーチフェイズについ

特に最近のゲーム等では情報収集は簡略化されていて「情報系の技能で判定して成功したら情報が入手できる」みたいになっている。これはこれで遊びやすさを重視したものだ。また不慣れなプレイヤーでも情報の達人と言うキャラを演じることができるわけで優れた手法だと理解している。

まあ、現実の情報収集は地味で泥臭くて広範にわたり根深い。加えて正解にたどり着くどころか全体像すらつかめずに終わることも多い。

それでも現実の社会戦ではこの「リアルリサーチフェイズ」が生死や勝敗を決するので雄々しく、狂おしくも突っ込んでいくしかないわけだ。


●量的収集質的収集
基本原則は思いつく限り手当たり次第の情報収集で良い。以前の書き方でいえば「量的収集」だ。(別にどこぞの本に書いてある話ではなくハナーが実体験を経て独自にたどり着いた見解なので特に責任は負わない。用いる方の自己判断にお任せする)

情報は入手して終わりではなく、「粗加工」「下拵え」が必要である。情報そのものの指し示す内容だけしか使わないのは非常にもったいない。「いつ」「どこで」「だれから」「どんな形で」得た情報か? という内容以外の要素もまた情報である。

不確かな情報は別経路から入手した情報と照らし合わせて、その共通部分「最大公約数」を抜き出すことでぼんやりと「仮説」が浮かび上がる。

そこで量的収集から質的収集に切り替わっていく。仮説の裏付けを取るという狙いでの情報収集に切り替わるわけだ。推理物で探偵役が仮説を立ててからは狙いを絞っている状態がコレである。


●不可知の内に

情報収集していること自体を相手方に気取られるのはなるべく遅い方が良いという注意点がある。

前回、敵味方の識別が重要だと書いたのはこれが理由である。敵方にはなるべく知られない形で行うのが良い。

「貴方を疑ってますよ」「貴方と敵対するかもしれませんよ」という情報を相手に知られないうちになるべく広く深く情報を集めてしまえるかどうか? 一度警戒されると途端に困難になるのが情報収集だ。相手に警戒の動きを取らせてそこを狙い撃ちするとか、重要点に見当を付けるという「高等手法」もあるにはあるが、緻密な計算のもとでやらないと失敗する。


●情報の性質「物的」「人的」

情報は「証拠証跡」という物的なモノと「証言」のような人的なモノの2種類に大別される。

物的情報は客観的で第三者への事実証明に威力を発揮する。人的情報はどうしても人を介する分、客観性が失われやすいし、ゆらぎやすい。

では「人的情報は役立たずか?」と言うとそうでもない。その揺らぎはむしろ利用できる。以前「ツルカメ仮説」と称して書いたが、証拠証跡と証言のズレや矛盾から、証言者の意図が浮かび上がる。また、聞き方や聞くタイミングを変えることで証言の揺らぎを取り…要は相手方にウソをつかせることで相手を追い詰めることができる。

疑惑を持ったり、違和感を覚えたり、裏切りの予感を察知したり、不正の疑惑を察知しても即座に表にだしてはいけない。

まず冷静にその疑念が本当かどうかを「質的情報収集」でもって確認する。勘違いで敵対するのはバツが悪い…と言うのもあるが、それ以上に「情報」の要素が大きい。

自分が相手を疑っているということを相手に知られるのは「宣戦布告」に等しい。当然相手は警戒モードに移行して情報入手が困難になる。

戦闘に入る時機、タイミングというものがある。入念に計画を立てて準備してからの方が勝率が高くなるのが道理だ。

相手が不可知、ゆえに無警戒のあいだに肝になる情報をさっさと集めてしまう。ハナー風に表現するなら「ご祝儀期間」のうちにとれるもんは全部取ってしまう。仮に疑念が誤りだった場合、水面下で処理されて問題は表面化せずに済むし、仮に争いになる場合、ご祝儀期間に得た情報が決め手になることが圧倒的に多い。相手が警戒していないうちに情報をかき集め、言質を取ってしまう。

「敵意と言う感情を表面化するとき=キメに行くとき」であるべきだ。状況確認や情報収集は感情ではなく論理や理性で行うべきものだ。感情を出すのはそれからでいい。

というわけで情報収集というインプットを考えるのなら、当然情報の活用というアウトプットも考える必要がある。頭脳優秀で大量の技能や資格を持っていても部屋に引きこもっていたり、徒に世間や他人を攻撃するのに用いては意味がほぼない。

知識でも情報でも収集獲得だけではあまり意味がないう。そこから何を読み取り、どう判断して次の行動に結びつけるか? そこまでやって初めて「情報を活用した」と言える。

情報は順序や組合せ、出すタイミングによって実に様々な効果が得られる。将棋の手順に非常に似通っているが、人間が認識できる要素数が少ないゆえに将棋よりははるかに「単純」だ。

たとえば情報のわかりやすさを重視する場合、「因果関係「時系列」が基本となる。わかりにくくしたい場合はこの順序を乱せばいい。(ゲームでの情報私などにおいて単純ながら非常に有効な手段である)

味方かどうかわからない相手を探る場合や、明らかに敵対する相手を使ってゆさぶりをかけたい場合、「本質」とは異なる情報を流す。たん難る偽情報と言う意味でもよいが、それ以外にもたとえ事実でも本質には程遠い情報、たとえば感情や可能性に基づく情報を渡して様子を見る。その情報を基に敵が動くかどうかで見極めができる。

敵対する相手でも一定程度なら情報の与え方でコントロールできる余地がある。

理由としては「すべての意志体は一切の例外なく、そいつが知覚した情報を基にそいつの価値観において合理的な行動をとる」からだ。敵味方の立場とか、頭脳の優秀性とか、聖人君子や犯罪者だろうが例外はない。一見不合理で愚かしい行動でも、その人物は「そうしたいから」「そうすると得だから」と思い込んでその行動をとっているわけだ。 相手の頭脳が優秀過ぎてこちらがそれを読み切れない場合も多々あるし(例:格上との将棋など)、たとえ自分と同等以下の相手でも相手の得ている情報範囲や価値観の推定が正確でなければ、行動強制どころか行動予見すら難しいわけだが。

味方には情報開示が基本である。特に信頼、信用できる味方には私は情報を大目に開示する。その情報開示自体が頼っている証拠となる。頼られると迷惑な時もあるが、大概人は自分の得意分野で頼られると意気に感じてくれる。むろん、その人物が「実は敵だった」りすると目も当てられない。ゆえに敵味方識別は慎重、万全を期す必要がある。

組織として動くときに大切なことは何か?

「メンバー間の相性」「各所有特技の明確化」「組織貢献度の見える化」などなどいろいろ思いつくが、すべてに共通するのは「情報共有」だ。

黙ってても通じ合えるのならそれはそれでよい。大概は意志疎通の齟齬や誤解が組織内部での問題を招き、瓦解のきっかけとなる。

恋愛と同様に、組織論でも「価値観が同じ人」を捜し求めるのは効率が極めて悪いといわざるをえない。ヒトそれそれ、十人十色、千差万別なので価値観には差があるのが当然だ。

つまり同じ目標を持ったメンバーでも「方法論」から足並みがズレるのは想定すべきことだ。

同一の価値観の相手ばかり探すのではなく、価値観は多少ズレていても良いので、むしろそのズレを互いに「許容」できるかどうか。このあたりがカギになる。

自分と異なる意見や価値観の人間をすべて受け入れずにいると仲間は得られない。異なる意見だからと言って戦って回っていると周りはすべて敵となる。「自分が正論を唱えている」なんて事実、あるいは信仰など全く関係ない。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。